HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報532号(2010年10月 6日)

教養学部報

第532号 外部公開

〈時に沿って〉 将来の自分への投資

平岡秀一

はじめて駒場に来た。この三月まで九年程本郷キャンパスの理学部で化学の教育と研究に携わり、四月に広域科学専攻の教授として駒場に来た。僕は東大育ちではないから「駒場=教養」という漠然とした印象しか持ち合わせていない。駒場とは何たるか、東大の教養とは何たるかを実体験に基づいて語ることができないが、九年間東大で過ごし、僕にとって東京大学が最も長く過ごしている大学となったためか、「駒場」が「本郷」と違う(だろう)ことを理解しつつ、不思議と「駒場」に対する違和感を感じなかった。これには、昨年半年間、非常勤講師として前期課程の講義を担当したことも影響しているに違いない。

今年から教養学部の教員として前期課程の講義を担当することとなり、「教養」とは何だろうと考えることがある。ここで言う「教養」とは「東大における教養教育」という意味だが、なかなか難しい。いわゆる「常識」と異なることは明らかだ。実際、私が夏学期に担当した講義は、あらゆる分野の理系の学生にとって知らなければ恥ずかしいというような「一般常識」ではなかった。受講生全体の一割に満たない化学系を志す学生にとっては「常識」となるかもしれないが、他の分野を目指す多くの学生がこの講義で習得した知識を将来実際に使うかと問われれば疑問だ。では将来の専門と関わり無い前期課程の講義は無駄なのか?

人は二つの点を直線で結ぶ様に最短経路で物事を進めたい、人生を歩みたいと願うものだ。昨今の効率重視と早期成果を求める社会において、この考え方は大いに歓迎される。しかし、すっと直線を引く様に人生の選択を行い、うまく振る舞える人は少ない。実際は大いに悩み、試行錯誤しながら沢山の寄り道をするものだし、本来そうあるべきだ。上空から眺める者にとって最短経路を知ることは容易いが、迷路にいる当の本人にとっては試行錯誤こそが唯一の手立てで、この試行錯誤の過程で新たな視点や世界観が生まれ、次の問題解決に役立つことは言うまでもない。人生や研究、その他あるゆる事は問題解決の連続だ。

駒場の教養過程はこんな問題解決における将来の自分への投資に思える。駒場生には様々な学問を通して、「真理の探求活動」の素晴らしさを実感して欲しい。さらにもう少し広く眺め、学問に限らずあらゆる物事に「探求活動」があり、自分自身を磨く場が沢山あることに気付いて欲しい。

教養過程で得るものは、将来遭遇する様々な問題を広い視野に基づき解決し、時には多角的に物事を判断し、行き詰まった状況を打開する手助けとなるに違いない。それは手に持つ道具というより自分の体に本来備わっているものとして、殆ど実感することもないだろう。しかしこれこそが真の財産だ。駒場生にはいろいろな物事に「真剣に」取り組み、形では表されない大切な物を手にして欲しい。それができる場が駒場にあると信じる。無駄だと思い込み、手を付け無いでいることほど残念なことは無い。人生において無駄なこと等これ一つとして無いのだから。あらゆる事に挑戦あれ!

(相関基礎科学系/化学)

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