HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報533号(2010年11月 4日)

教養学部報

第533号 外部公開

『デカメロン』の壁画を訪ねてライン河畔へ

宮下志朗

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白鷲館」の壁画
八月下旬からごく短期間、パリやリヨンで調査をしてきた。もっとも、わがラブレーに関して、彼の地でなすべきことはほとんど残ってはいない。歴史家ならば、毎年古文書館に通うのもいい。近代文学ならば、「草稿」が残っていて、「生成学」という分野も市民権を得て、ひところのプルースト学のような、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いは感じられないとはいっても、対象となる作家は確実に広がっているらしい。けれども、わが一六世紀フランス文学の場合、草稿など残っていない。その代わりに、刊本が世界に一冊しか残っていないという場合も多く、昔は、なんとか見せてもらうべく奔走したり、ダメな場合はマイクロフィルムを作成してもらうべく手紙を書いたりと、原典にアクセスするのに多大なエネルギーと金銭を費消していた。とても苦労するし、時間がかかるものだから、このプロセス自体が研究と一体化していた。

ところが最近は、わが家からGallicaなどのサイトに入れば瞬時にアクセスできてしまう。なんたる呆気なさか。それで浮いた時間は、テクストを読むことに当てればいい。理屈の上ではそのようになる。ところが世の中、時間泥棒が多くて、じっくりと読む暇がないのである。

でも、図像の場合は別で、やはり本物を見ないことには話にもなりゃしない。といったわけで、今回は、飛び込みでスイスに調査に向かった。『デカメロン』関係の本を読んでいたら、この物語を主題にした一六世紀のフレスコ画が存在する、場所はスイスのシュタイン・アム・ラインという村だとあって、びっくり仰天。これは、見逃せないではないか。メールで村の観光局に問い合わせたら、本当ですから是非ともおいでくださいとのこと。で、パリから急遽スイスまで飛んだ。いや、飛んだのではなく、列車で駆けつけた。

パリ東駅からチューリヒまではTGVで、そこからローカル線を二本乗り継いでシュタイン村に着く。ライン河の源流ボーデン湖のすぐ近くで、ちゃんと遊覧船が出ていた。帰国してミシュランを見たら★★、かなり有名な観光地であるらしい。川辺のホテルに荷物を置いて、さっそく村の中心に向かう。広場に面した建物はどれも中世の面影をしっかりとどめており、しかも、どれもかなり古い壁画でおおわれているではないか! これら朴訥なる壁画に囲まれてしばし時をすごすならば、俗塵にまみれた心が洗われることは請け合いだ。 

目当ての『デカメロン』が描かれている建物は、広場から通りに一歩入ったところの通称「白鷲館Weissen Adler」、現在はホテルだという。そこに泊まればよかったが、後の祭りだ。さっそく壁面に目を凝らすと、中央部に「白鷲」が鎮座している。この壁画の主題は「愛」で、右上ではCupido(愛の神)が矢を放ち、その下に母親Venus(ウェヌス)が控えている。左上には、剣と天秤を手にしたJustizia(裁きの女神)が、その下には鏡を手にしたPrudentia(賢明さ)がいる。

このように、壁面の多くを寓意図像が支配している。『デカメロン』は、建物三階の左右両翼にあった(写真を参照)。左側は『デカメロン』五日目・六話。『デカメロン』は、前日の話が終わったところで翌日のテーマが決定され、一〇人の語り手がネタを考えてくるのだけれど、五日目の主題は、「残酷な、あるいは不幸な事件を経て、恋人たちが幸福を取り戻す物語」だ(その第八話が、ボッティチェリ《ナスタージオ・デッリ・オネスティ》プラド美術館、で有名)。イスキア島に住む恋人が拉致されてシチリア王に献上されたことを知った若者ジャンニは、彼女を連れに行くが捕まってしまう。パレルモの広場で火刑に処せられるシーンで、画面手前の提督が事情を知り、ふたりを助けてやる。右側はといえば、「不幸な終わりをとげた人々」がテーマの四日目(第九話が、有名な「心臓を食べさせる話」)、その第七話である。

舞台はフィレンツェの町、シモーナとパスクィーノの恋人どうしが、庭で密会していて、パスクィーノがサルビアの葉で歯磨きしていたところ、毒が回って死んでしまう。殺人の容疑者となったシモーナが、現場検証で、彼はこのようにしたのですと、サルビアを噛んでみせるところが描かれている。彼女は、恋人を追うように死んでしまうのだ。サルビアの根本に巣くう巨大なガマガエルの毒が原因だという。

それにしても、いかなる経緯があって、北方のライン河畔で、ボッカッチョの物語が壁画のモチーフに選ばれたのだろうか? 不思議でたまらない。観光局の人も、そうした歴史はなんにもご存じないようであった。でも、ともかく実物を拝むことができた。この地まで来ると、すでに夜は肌寒い。でも、満ち足りたわが心は温かかった。翌日は、アルプスを望むチューリヒ湖畔での昼食。まさに絶景で、シティライフといっても、高層ビルに囲まれての一日と、雪をいだく山々を眺めながらの湖畔でのビジネスランチとでは大違いであろう。なんと贅沢な日々を彼らは送っていることか。そこで、こちらもちょっと贅沢をして、TGVの一等車でパリに帰還した。

「私の好きだった若い英語教師が、黒板消しでチョークの字をきれいに消して、リーダーを小脇に、午後の陽を肩さきに受けて、じゃ諸君と教室を出て行った」という、別れの一節が好きだ(高見順『黒板』)。駒場のフランス語教師たる自分には、さりげない別れこそがふさわしい。だから、惜別の辞ではなくて、紀行文を書くことにした。では小生、スローライフを求めて(?)、次の停泊地に出発いたします。一七年と半年、本当にお世話になりました。

(言語情報科学専攻/フランス語・イタリア語)

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