HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報538号(2011年5月11日)

教養学部報

第538号 外部公開

小山弘志先生を偲ぶ

三角洋一

小山弘志先生が本年二月十六日、肺炎でお亡くなりになった。享年九十歳であった。

小山先生は東京のご出身で、東京帝国大学文学部国文学科をご卒業、駒場には昭和三十四年にご着任、四十九年から教養学部長をお務めになった。大学院の比 較文学比較文化専門課程、教養学科の芸術論の授業も担当なさり、ご定年にあたる昭和五十六年からは国立国文学研究資料館(現、大学共同利用機関法人人間文 化研究機構所属)の教授に移られ、その後十年ほど同館長の職にもあられた。

先生のご専門は日本の古典演劇の能・狂言で、おもなご業績に日本古典文学大系『狂言集・上(~下)』(岩波書店)、ご共編の新編日本古典文学全集『謡曲 集・一(~二)』(小学館)、ご編著に『日本の古典芸能における演出』(岩波書店)がある。先生のご薫陶よろしくこの方面の専門家になっている者も多く、 同僚の松岡心平君をはじめとして、小山山脈をかたちづくっていると言っても過言でなく、研究に、教育に、行政職に大きな足跡をしるしとどめられた。

団塊世代の私の入学したのが昭和四十一年で、一年生の冬学期にさっそく先生の「国語講読」を受講させていただいた。その折の能・狂言のテキストが今も手 元にあり、そこには先生の主催・運営される東京能楽鑑賞会のリーフレット、講演案内、申込書と、ガリ版刷りの期末試験問題も挟まっていて、さまざまなこと が思い出される。先生は旧制一高の駒場寮時代にも国文学研究会というサークルをたちあげ、お仲間を誘って観能に勤しまれたとうかがっている。能楽の普及、 発展のために尽力なされたご功績は計り知れない。

この年は祝日法が制定された年でもあって、建国記念日をめぐって学内が騒然としていたが、折しも先生は第六委員長(現在の学生委員長)の任にあって、代 議員大会だか反対集会だったかの会場の、窓際の壁に寄りかかりながら立ったままで傍聴していらっしゃったお姿が今も目に鮮やかに浮かんでくる。温厚で心優 しい先生の毅然とした態度をお示しになる一面をかいま見たような気がした。

本郷の文学部に私が進学したのが昭和四十三年で、この年、東大紛争が起きて大学は一年半にわたって休校、授業再開によりどさくさ紛れに卒業、修士課程に 入ってから博士課程一年での中途退学まで、本郷や駒場で再び先生の謦咳に接し、学内にはまだ殺伐とした雰囲気が残っていたが、悠揚迫らぬご講義に学問の奥 深さを感じて見習いたいと思ったことであった。

しばらく間が空いたが、その後も、つい数年前まで毎年のように館長時代の先生、あるいは東大国語国文学会評議員会の折の先生にお会いするのが楽しみで、「やあやあ三角君、久しぶり」とお声をかけてくださるにこやかなお顔が忘れられない。

先生のご冥福を心よりお祈り申しあげます。

(超域文化科学専攻/国文漢文学)

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