HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報541号(2011年10月 5日)

教養学部報

第541号 外部公開

受け継がれる教養教育

斎藤兆史

541-B-1-2.jpg教養学部着任後二十二年目の途中で教育学研究科・教育学部に職場を移すことになった。駒場生であっ た二年間も含めれば四半世紀近く教養教育に関わってきたわけだが、最近になってその理念に思いを巡らすことが多くなった。学内の配置換えがその大きな理由 であるとはいえ、今年の夏学期に教えた学部生たちの多くがひと際素直で学習意欲にあふれていたこととも関係がある。こちらが襟を正して授業に臨まなくては ならないと感じさせるような学生たちで、教師もまた学生によって育てられるものであることを改めて実感した。自分に彼らの教師たる資格があるのか、教養教 育の伝統を受け継いで彼らに伝える資格があるのか、そんな自問を繰り返すようになった。

駒場着任時、着任の挨拶を兼ねた教養学部報記事(「時に沿って」、一九九〇年十二月号)の中で、私は倉田百三の『愛と認識との出発』に記された倉田と矢 内原忠雄の精神的交流や、二人が一高在籍当時に校長の座にあった新渡戸稲造の著作との関連において、旧制高校的な教養主義に対する自らの憧憬を語った。そ の二年後に退官された川西進先生が、やはり学部報紙上でその拙文に触れ、勿体なくも「同じ関心を持つ私は、駒場での最後の年の授業に、一高で新渡戸が矢内 原らに講じた、カーライルの『衣服哲学』をテキストに使おうと考えていたので、これまた思いがけぬ嬉しい記事だった。こうして佳い退き時が、見えざる手に よっていつの間にか備えられていることを知った」と書いてくださった(「来たとき、去るとき」、一九九二年一月号)。

また川西先生は、別の機会に、一高に学んだお父様が新渡戸稲造を敬愛していたことを教えてくださった。その瞬間、新渡戸の全集を購入・愛読していた私 は、すぐにその配本の際についてくる「月報」紙上に現われる「川西」という名前を思い浮かべた。そして思ったとおり、そこで新渡戸についての思い出を語っ ている川西実三氏(埼玉県知事、長崎県知事、京都府知事、東京府知事、日本赤十字社社長などを歴任)は先生のお父様であった。その回想(「有り難くて懐か しくてたまらない先生」、月報二)の中で、彼は「永い生涯の支えとなり、指針となった大切な人生観、処世観は、[新渡戸]先生から賜わったものが実に大き く深いのである」と書いている。

面白いことに、新渡戸稲造と、その薫陶を受けた川西実三、矢内原忠雄らとの年齢差がほぼ一世代である。そこから一世代下った川西先生と私との間が一世 代、そして私と今の学部生との間がまた一世代隔たっている。そう考えると、一高から教養学部へ受け継がれ、そして駒場の地で連綿と受け継がれてきた教養教 育の中に、世代というまた別の周波が(おそらくは幾重にも)存在しているらしい。もちろんそれは、私が川西先生たちの世代の教養をしっかり受け継いでお り、それを次の世代に伝えることができているとの前提で成り立つ仮説なのだが、私は本当に伝統を受け継いでいるのか、次の世代に教養教育を施す資格がある のか。自問は続く。

組織としての「教養」学部を離れるとしても、教養を次世代に伝えることは教育の問題でもある。自分に教養を扱う資格があるのかどうかの自問を繰り返しつつも、今後は教育の視点から「教養教育」についてじっくりと考えていきたいと思っている。

(教育学研究科/教育学部)

第541号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報