HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報541号(2011年10月 5日)

教養学部報

第541号 外部公開

〈本の棚〉矢口祐人著『憧れのハワイ~日本人のハワイ観』楽園リゾートの創られ方』

能登路雅子

541-C-2-2.jpg日本から見たハワイの変遷を、戦前・戦中・戦後を通して辿り、日本人の海外旅行先としてハワイが定番化する過程を明らかにした本書は、ある意味で二十世紀日本のライフスタイルや夢の軌跡を見直す試みでもある。

団塊世代であれば、「軍艦じゃんけん」という遊びを覚えているだろう。「軍艦、軍艦、ハワイ」「ハワイ、ハワイ、沈没」といった掛け声とともにじゃんけ んをするもので、「水雷艦長」とともに人気があった。「憧れのハワイ航路」のメロディがまだ耳の奥に響いていた一九五〇年代、日本の子供たちは真珠湾攻撃 を遊びの形で記憶しつづけ、また同時に映画スターや読売巨人軍のハワイ訪問の報道に羨望を感じていた。

六〇年代に入り、遠いハワイはトリスの懸賞広告や『ハワイの若大将』『続社長外遊記』などの映画で一挙に庶民に近づいてきた。本書の中心ともいうべき第 四章「海外渡航自由化とハワイ」は、高度成長期をひた走る日本人の豊かさへの夢が「常夏のハワイ観光」をめざして次第に膨らみ爆発していくさまが、活写さ れている。

本書の書誌的貢献は、幕末以来の日本人のハワイ言説を丹念に分析していることだ。福澤諭吉やその一世紀後の小田実による辛口批評は例外であり、他の日本 人訪問者の多くは今日につづく楽園イメージの形成に一役買っている。面白いのは、戦前の知識人がハワイの美しい風土とともに 、島々に浸透するアメリカの高度な文明に強烈な印象を受けた点である。東洋製缶の創設者である高碕達之助は農業の大規模な機械化に瞠目し、荻原井泉水は火 山の上までドライブできる道路事情の良さに舌を巻いた。いずれも楽園の舞台裏にアメリカの経済的社会的なパワーを実感していた。

著者は本書を通じて、いくつかの問いを読者に投げかけている。そのひとつは、敵地であったハワイが、戦後すぐになぜ「憧れ」の対象となったのか、という 問題だ。この変化には民間の文化交流やハワイ音楽ブームなどが影響しているが、その過程で以前のハワイ像にあったアメリカの強力な存在感が次第に薄れ、ハ ワイは日本人を優しく受け入れてくれるパラダイスとして再定義されていったのではないか。

日本人がトリスを飲みながらハワイ旅行を夢見た一九六二年、真珠湾にアリゾナ記念館がつくられた。海中に沈んだ戦艦アリゾナをまたぐ純白の記念館には以来、アメリカ人見学者が絶えないが、日本人観光客はほとんど見かけない。

しかし、「真珠湾を忘れるな」というスローガンは日本敵視というより、冷戦期においてアメリカ太平洋艦隊の強さと国防の重要性をアピールするレトリックだった。

真珠湾を忘却し、ハワイの軍事的側面を無化することで、日本人は初めて安心してハワイを楽しむことができた。日米間のそうした認識ギャップをものがたる エピソードとして第五章で紹介されているのは、真珠湾攻撃五〇周年を迎えた九一年に全米から退役軍人がホノルルに集合したとき、記念行事を開催できる大規 模ホテルのほとんどを日本企業が所有していたという事実が、アメリカ社会に衝撃をあたえたというものである。

第六章が扱う「癒し」を求める現代のハワイ観光は、日本人がこうしてハワイからアメリカ的要素を骨抜きにしてきたプロセスの仕上げ段階を示している。 「ポスト大衆化時代」のリピーターは、観光地を離れた「本物のハワイ」を希求するが、それはワイキキにいる「普通の観光客」と自己を差異化しようとしてい るに過ぎない。州最大の産業である観光業と無縁のローカルでエコな体験は幻想であると述べる著者は、最後にハワイ先住民に対する昨今の日本人観光客の憧れ が彼らの歴史的苦難を無視した身勝手な伝統礼讃思想を含んでいることにも警鐘を鳴らしている。

軽快な語り口で読みやすく、章末ごとのコラムが読者の旅ごころを掻き立てる本書は、同時に現代の観光文化全般に通じる娯楽と教育、伝統と虚構の相互関係 などを広い視野から論じている。キャンパスでの研究のみならず、アリゾナ記念館でアメリカ人と共同で歴史教育活動に携わり、多様な研究ネットワークを構築 し、フラの練習にも情熱をそそぐ著者ならではの理論と実践を巧みに織り交ぜた渾身のハワイ論といってよいだろう。

(地域文化研究専攻/英語)

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