HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報542号(2011年11月 2日)

教養学部報

第542号 外部公開

ジャン=ピエール・デュピュイ講演会 「悪意なき殺人者と憎悪なき被害者の住む楽園――ヒロシマ、チェルノブイリ、フクシマ」

増田一夫

542-B-1-2.jpg去る六月三〇日、スタンフォード大学教授ジャン=ピエール・デュピュイ氏の講演会が行われた〔科学 研究費補助金「共生の宗教へむけて」、グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)主催〕。フランス放射線防護原子力安全研究 所(IRSN)・倫理委員長を務め、『啓蒙的破局論』(二〇〇二年)や『ツナミの小形而上学』(邦訳、岩波書店、二〇一一年)の著者としても知られる研究 者とあって、会場の数理科学研究科大講義室には満席に近い聴衆が集まった。

講演の前半では、破局(カタストロフィー)を引きおこすのは誰か、という問いの歴史が回顧された。近代以降、神や自然ではなく人間の行為にその責任を求 める考え方が西洋では支配的であった。しかし、第二次世界大戦を機に変化が見られ、人為による大惨事が自然災害のように語られるようになる。「洪水」を意 味するショアー(ホロコースト)も然り。講演のタイトル「悪意なき殺人者と憎悪なき被害者の住む楽園」は、ドイツの哲学者で反核運動家のギュンター・アン ダースによる言葉である。彼が戦後おとずれた広島・長崎で、被爆者たちは原爆投下という人為的な殺戮行為について、加害者の非難をするのではなく、原爆が 自然災害であったかのように語っていたという。

自然/人為の相対化、そして「意図」の相対化。たしかに現代では、巨大化した科学技術を通じて、人為は最悪の自然災害に劣らぬ破壊と荒廃をもたらしかね ない。また、災いは必ずしも「悪意」に由来しない。「豊かさ」という「善」を求める工業や科学技術が深刻な害悪を生んだ例は枚挙にいとまがない。その構図 は、ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」を喚起する。悪意はなくても、職務内部での効率や合理性のみを追求してその結果を想像しない場合、悪意がなくて も、途方もない悲劇を結果することがある。

もっとも、だからといって、責任や補償の問題、避難や防護の方法をあいまいにしてよいわけではない。講演の後半では低線量被曝の問題が取り上げられた。 この被曝の危険性については見解が深く割れており、チェルノブイリ事故による最終的死者数をめぐっても、数百から数十万にわたる推計が存在する。国際原子 力機関(IAEA)の推計は最終的死者数四千名。デュピュイは、疫学的調査の不十分さとモデル化の根拠の脆弱さから、これを疑問視し、過少な推計は「きわ めて特殊な〈死体の山の隠蔽〉」につながると指摘する。

一般に為政者や専門家は、無益なパニックを引き起こすとして、「不都合な真実」を語らない。代わりに採用されるのが、「不安を取り除く言説」である。そ の結果、チェルノブイリ事故の際のフランス政府がしたように、西ヨーロッパへと広がった「核の雲」は独仏国境で止まった、といった報道が行われることにな る。「安全神話」と対をなす「不安を取り除く言説」。実際に破局を回避・限定するためには、この対が不適切であることはいうまでもない。だからこそデュ ピュイは、リスクを直視しながらもパニックを煽らない「啓蒙的破局論」を提唱するわけである。

ところで、原発大国フランスから来た研究者は原発をどう評価するのだろうか。原発には、「厳格な諸基準を満たしているので安全」だとされている。しかし デュピュイは、『チェルノブイリから帰って』(二〇〇六年)の中で、「稼働の全期間を通じての安全性を誰が保証できるのか」と問いかけ、「それはテクノク ラートや専門家にはけっしてできない」と答えている。立場からして彼らに客観的な評価はできないし、そもそも「ゼロリスク」は技術的にも確立できない。使 用済み核燃料の最終処理方法は、解決の糸口さえつかめていない。原発と「共生」するためには、どんな補償によってもカバーしえぬ、最悪の、不可逆的な破局 の覚悟が不可欠なのである。

三・一一以降、死者を悼み、未曾有の災害の傷を癒し、より犠牲の少ない、新たな社会を発明してゆかねばならないなかで、デュピュイの考察をどう受け止め ればよいのか。やや無邪気に競争と生産性向上と経済成長に明け暮れてきたこの社会、その社会に潜む「不都合な真実」を深刻に見つめなければならない時が来 たことは間違いがないだろう。

深淵のようなリスクを直視し、より悲観的な知に立ちながらも、それゆえにより確実な未来を目指すこと。デュピュイの問題提起は、その困難な歩みへの一助となるに違いない。

(地域文化研究専攻/フランス語・イタリア語)

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