HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報543号(2011年12月 7日)

教養学部報

第543号 外部公開

<駒場をあとに> 殿の記

安達裕之

543-D-2-1.jpg昭和四一年の入学以来、本郷で学んだ三年間を除いて半世紀近くを駒場で過ごした。いわば大海を知ら ぬ駒場の蛙であるが、私にとって駒場の研究・教育環境はすばらしく、豊かな自然環境の中で季節の移ろいを目にしながら研究・教育にいそしむことができたこ とはこのうえない幸せであった。ただ昔は朝夕に姿をみ、鳴き声を聞いたコジュケイもいなくなり、春先の夕べに踏まないように注意した蛙の数も減り、自然環 境が年とともに変化しているのは確かなようである。

確かといえば、私の場合、六十有余年も人間稼業に精を出していると、着実に老人力がつき、厚顔無恥の度が増した。
今年は日本がプロイセンと修好通商航海条約を結んで一五○年目にあたるのを記念して、ドイツ大使館の肝煎りで特別展を駒場博物館で開催する計画であった が、大震災により計画は潰えた。しかし、博物館としては独自に第一高等学校からみた日独文化交流史「一高/獨逸」展を開催したいという意向であったので、 博物館への最後のご奉公として展示の半分を担当することにした。

私の専門は造船史で、ドイツとの縁はドイツ学の祖たる蕃書調所の市川兼恭以外になく、語学力は辞書をひいてやっと書名が読める程度、明らかに展示の担当 者の資格に欠ける。にもかかわらず、歴史つながりで、手間暇をかければ何とかなると踏んで引き受けたのは老人力の功と妙なところで感心した。  造船史という学問は、建築史と違って制度化されておらず、研究者の再生産機構が存在しない。図学教室(現、情報・図形科学部会)で須藤利一先生、小佐田 哲男先生、私と三代、造船史の研究者が続いたのは僥倖といってよい。さすがに三代のうちに運を使い果たしたとみえて、後継者がいない。昔の三代目が御家流 で売家と書いただけですんだかどうかは知るよしもないが、今の三代目には後始末をしなければならないことが山ほどある。駒場に限れば、三代にわたって受け 継いできた大日本海志編纂資料をどう駒場図書館に移管するかが問題であった。

大日本海志編纂資料(以後、海志資料と略称)とは、明治一六年に農商務省駅逓局から古来船舶制度調査事業を引き継いだ海軍省が、海軍彙編、海防彙編、造 船彙編、海運彙編、通商彙編より成る日本海志を編纂するため蒐集した水軍・外交・海防・造船・海運・海外通商などに関わる資料をいい、海軍省の海軍文庫に 収蔵されていた。海志資料の特色は水軍書と木割書・図面など造船関係の資料が充実していることで、なかでも図面の九割を原本が占めることは特筆にあたいす る。

農商務省も海軍省も所蔵者から資料を借り出して写本を作成するのを原則としていたので、海志資料のほとんどは写本であるが、ごくまれに原本の提供を受け ることがあった。図面の原本を提出したのは、海軍と関係の深い旧薩摩藩主島津家である。大藩だけあって、各種の船の図面が揃っており、他に類例がない。

伝え聞くところによれば、敗戦直後、海軍文庫の図書は海軍省から本郷の東京帝国大学に運ばれ、各部局が必要な図書を受け入れた。海志資料については、総 合図書館が巻子本の図面をとり、史料編纂所が五指に満たない資料をとった。史料編纂所が海志資料のすべてを有に帰さなかったのは何とも解せない話ではある が、ともあれ、残りが駒場の第一高等学校に移された。昭和二三年八月に大日本滑空工業専門学校から第一高等学校に戻った須藤利一教授は海軍文庫の存在を知 ると、早速、調査を行い、海志資料をはじめとする海事資料を図書館から研究室に借り出し、以後、小佐田先生、私が受け継いで、研究と閲覧の用に供してき た。

この貴重な資料を駒場図書館に移管するにしても、知る人ぞ知る資料として埋もれさせないためには、デジタル化して、公開するのが最善の策である。そこで 駒場図書館と相談して、所蔵する海志資料の駒場移管を総合図書館にお願いするとともに情報基盤センターに協力をあおいだ。幸いにもご理解がえられたばかり でなく、資料の保存と撮影・画像処理にも人をえて、準備を始めて三年目の今年三月にようやくすべてを公開することができた。総合図書館の電子化コレクショ ンあるいは駒場図書館のディジタル展示の「大日本海志編纂資料」をご覧いただければ、幸いである。

これで大手を振って駒場を去れると安堵したが、詰めが甘かった。「一高/獨逸」展の準備のため保存書庫で第一高等学校旧蔵図書を調べているとき、ふといやな予感がして振り向くと、海志資料が私を忘れていますよと手招きしていた。

海志資料に欠本があるのを知りながら、再調査して駄目を押すのを怠った当然の報いであり、老人力のなせる業である。「一高/獨逸」展を担当していなけれ ば、知らぬが仏で駒場を後にするところであった。だいたい「一高/獨逸」展のように本人にも何でやるのか理由がよくわからないままに滅私奉公に励むと、い いことの一つや二つは降ってくる。三年前に本郷の工学部三号館の建替え工事のために旧船舶工学科の図書を整理したときは土砂降り状態で驚いたが、話し出す ときりがないのでやめておく。

最後に永年お世話になった同僚諸賢、教職員各位、学生諸君、それに海志資料の公開にご尽力いただいた皆様に心からの感謝を申し上げる。

(広域システム科学系/情報・図形科学)

第543号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報