HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報543号(2011年12月 7日)

教養学部報

第543号 外部公開

<送ることば> 池田さんをおくる

鍛治哲郎

第一印象に間違いはない。池田信雄さんと初めて知り合ったのは三十年ほど前、日本独文学会の会場で のことである。どなたかに紹介されたはずだが、それがどなただったか、またその時に何を話したかは覚えていない。ただ記憶に残っているのは、受付近くの人 混みと池田さんの大きく笑った顔である。笑い声ではない。目も口も大きい人がワッと笑う。その相好である。当時の池田さんはおまけにひげも蓄えていたと思 う。だが、その時に私が感じたのは豪胆さというようなものではなく、風通しのよく快い開放性だった。人柄が明け透けになる笑いである。

池田さんが最初に選んだ研究対象はジャン・パウルだった。このドイツの十八、九世紀の小説家は、文学史の枠には収まりきらない型破りの難解な作家として 知られている。日本では読みこなす人は少ない。この作家を出発点にして、同時代のゲーテやノヴァーリスへと専門の枠を広げ、やがてはドイツ語圏の現代文学 も守備範囲とするようになった。とくにオーストリアの現代作家トーマス・ベルンハルトについては論文だけではなく翻訳も手がけた。翻訳といえば、『ドイツ 現代戯曲選三〇』を編者兼訳者として完結させたほかに、DeLiという現代のドイツ語圏文学を紹介する商業誌を編集責任者として立ち上げ、今年で十号に 至っている。ドイツやオーストリアの若手の作家たちとの付き合いがあってこそ可能な企画である。あの笑顔から忌憚のない関係が生み出されたのだと思う。

そういう性格も与ってか、池田さんはいろいろな役職を平気でこなしてきた。第六委員、建設委員、ドイツ語部会主任、外国語科委員長、駒場美術博物館長な どを歴任し、数年前からは大学本部のバリアフリー支援室長というの要職についている。学外では日本独文学会の理事を長く務めた後、会長に選ばれてしまっ た。

もちろん人は笑うだけでなく吠える。駒場に来てから池田さんがいつも笑っている人でないことは分かった。迫力ある役回りを演じている場面に立ち会い、ひ やひやさせられたこともある。要するに池田さんの場合、内なる思いは熱く、内と外とを隔てる壁は薄いのである。それだ駒場の猛者を集めた彼の特別委員会の メンバーにもなってしまった。といっても特別委員会だけでは何のことか分からない同僚が増えてきている。このところ駒場は人の入れ替わりが激しい。

そしてここ数年、池田さんは全学のバリアフリーのための仕事で忙しい。疲れも見える。先日の金沢の学会でのこと、最初の店に居残っている我々に「俺た ち、これからその辺りを回ってくるよ」と言葉をかけ颯爽と香林坊の夜の街に消えていった。さて宿に帰ろうとすると徳利や皿や鉢の間にめがねが一つ忘れられ ていた。位置から見ても池田さんの老眼鏡だと確信した。翌日若い人が学会の会場まで届けてくれることになったのだが、駒場に帰ってからそのことを話題にす ると、久しぶりに池田さんらしい笑いが返ってきた。

個性的な人が駒場を去っていく。あの破顔が見られなくなるのは寂しい限りだ。池田さんはよい店をいくつも知っている。そういう人は今や少なくなった。付き合いのよくない私も世話になった。そのことも含めて、池田さん、本当にありがとうございました。

(言語情報科学専攻/ドイツ語)

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