HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報544号(2012年1月11日)

教養学部報

第544号 外部公開

〈駒場をあとに〉 とりとめのない雑感

小宮山進

544-D-4-1.jpg駒場に着任したのは一九八二年ですから、今年でまる三〇年になります。実は、学生時代も駒場で十三 年間過ごしました。教養学部基礎科学科から駒場の大学院相関理化学専攻へ進み、博士課程終了後さらに三年間オーバードクターをしたからです。加えて高校は 筑波大付属駒場です。そんなわけで、オーバードクターから駒場着任までの三年間ハンブルグ大学に居たことを除けば、中学卒業以来の人生の全てを駒場で過ご したことになります。この三〇年間駒場に教員として過ごしてきて、今どんなことを感ずるかを脈絡なく記してみます。

私の研究分野は物性物理の実験ですが、そこで二つの方向性を追って来ました。

一つは、絶対零度近くの極低温や強磁場下の半導体等で起る量子現象の発見や観察・制御、また固体中で起るレーザー発振等を引き起こす非線形現象の発見や 観察と理解が目的です。面白そうな実験の仕組みを考えて実行し、十中八九うまく行かないので、なぜか考えて実験をやり直し、そんなことを繰り返してなんと か正しい理解にこぎつけます。このような、失敗九回+成功一回といったサイクルが、一つの仕事になります。何回も失敗した後、最後になんとか一つの結果に たどりつくことが楽しいのです。

二つ目の方向性は測定方法そのものの工夫です。もともと、新しい現象の観察は、何を測るべきか自体が問題であることが多く、また、何を測るべきかが解っ ている場合でも、それを測定できる装置が存在しない、ということも多々あります。そこで、実験物理では測定装置の工夫が重要です。

一つ目の研究の副産物の一つとして、ここ一〇年程、赤外光より長波長の電磁波領域(テラヘルツ帯)の超高感度の計測法を色々工夫して来ました。テラヘル ツ帯の高感度測定はもともと天文観測で重要だったのですが、現在では地上の多くの物質にとってその重要性が認識されています。

若いころは意識しなかったのですが、今になって気づくのは、自分の研究スタイルが子供の頃の姿を引き継いでいることです。小学生のころ、親戚から壊れた ラジオその他の品を集め、電気回路や金属材料・ねじ・釘・工具のかなり充実したストックを持っていました。叔父から1mAの電流計を貰ってテスターを自作 し、色々な回路を作りました。トランスを巻きなおして電圧可変の模型用直流電源を作ったり、小さなチョークコイルを単三電池とともにトランプケースに仕込 み、ケースを開けると電撃が生ずるびっくり箱にして叔母を飛びあがらせたり。また、鉄釘・水道鉛管・単一電池を分解して得た亜鉛板・ラジオのアルミニウム シャー等の様ざまな金属を手当たり次第に塩酸に入れて溶け方を見てみたり、さらに空き缶に入れて台所のガス台で溶かしてみたり、と思い出は尽きません。

これらは学校の先生の指導や「良い子の科学」に載っていた記事ではなく、全て自己流です。何の意味があるのかなど考えず、ただ、どうなるのかと、ドキドキしながら試したことを覚えています。

また、小学校5年生の夏休みには、カサの支柱から鉄パイプを切りだして鉄砲(内径6mm)を作ったことがあります。最初の試射で的を大きく外し、通りを 隔てた向かいの家の玄関に飛び込んでガラスを割りました(幸いけが人は出ず)。的を外したことは大きな謎で、原因を必死に考えた末、弾のサイズ(直径約 4.5mm )が小さすぎたため弾が銃身の中を進む際に内壁を多重反射するので飛び出る方向が定まらない、と想像されました。これを思いついた時の感動は今でも忘れま せん。

ただちに改良型を作り直したところ命中精度が格段に向上し、仮説が実証されました。中学に入ると同好の士ができましたが、二年生の夏休みに親友が火薬の 準備中、暴発して指の一部を失う大けがをして入院し、そこで止めることになりました。面白いことに、我々は其の件で両親や先生から一切しかられることは無 く、ただ先生が「君たち、来年は受験なんだからそろそろ勉強のこと考えたら」とおっしゃっただけでした。このようないたずらまがいの遊びはほかに書き切れ ない程あります。

もっと知的な興味や疑問もありました。時間や空間の無限性。進化の不思議。「自分が居る」と思う意識の不思議。その他、小学生のころ母が食事の支度で人 参をみじん切りにしているのを見ていて、「みじん切りを続けると人参のままどこまでも小さくなるのか、それとも人参ではない何か別のものになるのか」と疑 問に思って母に尋ねてしかられたことが有ります。「今忙しいのよ。人参をみじん切りしてキュウリやナスになる訳ないでしょ。」光の明るさに足し算がなりた つのか疑問に思い、大人には秘密に月の無い夜に一人で起きだし、ドキドキしながら懐中電灯で夜空を照らしたことが有ります(昼間だと懐中電灯はほとんど明 るさの足しにならないが、真っ暗な中なら世界中を明るくする力があるのではないか、と夢想したのです)。

 駒場での研究に戻ります。私のやり方は、子供のころいつも何かに夢中になっていたように、自分が面白いと思ったことを後先を考えずにまずはやってみると いう面が強いように思います。自分が面白いと思って研究をするのは当然なのですが、物理学は自然科学の中で最も確固とした基礎を持つので、ある分野にとっ てある時点で何が今問題か、について研究者の間である程度の共通認識が存在する場合が多いのです。

そこで、多くの研究者は、普段から廻りの研究動向の勉強を怠らずに最新の知識を吸収し、研究の大きな流れの中で自分の研究を位置づけ、アタック方法を考 えるのです。ところが、私にはその傾向が極端に少なく、まずは自分のやりたいことをやるという傾向が強かったように思えます。それが正しいとか、間違って いるとかは言えません。うまく行けば、世の中に引きずられずに独創的な方向を開拓することになるでしょうし、裏目に出れば誰も興味を持たない我流のタコつ ぼを掘ることになるでしょう。私の場合どちらかは分かりません。ただ、本当に面白かった。

小・中学校時代の先生方が自由にさせてくださったのと同様、駒場で私が自分流に研究を続けて来られたのは、駒場が何よりも自由な雰囲気を持っていたことによります。そのことについて先輩・後輩の同僚教員とともに、職員の皆さんに感謝いたします。

(相関基礎科学系/相関自然)

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