HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報544号(2012年1月11日)

教養学部報

第544号 外部公開

北田均先生をおくる言葉

中村周

思い出してみると、北田先生に初めてお会いしたのは、もう三〇年近くの昔になります。私は、大学院 の博士課程に進学したところで、当時の指導教官だった谷島賢二先生から、「北田先生が、いろいろ教えて下さると言うから、教わって来い」という風なことを 言われて、何人かの大学院生と一緒に、当時、教養学部数学教室の研究室があった一研(戦前からの、かつては一高の寮だった古色蒼然たる建物)の中の、北田 先生の研究室に伺ったのでした。

北田先生は、既に長距離型散乱理論の完全性の証明で名を馳せており、私はどんな怖い先生だろう、とこわごわ伺ったのですが、北田先生は、(今から考える と)いつもの温厚な笑顔で我々を迎えて下さいました。「こんな論文があるから、一緒に読んでみましょう。」と最新の研究の情報を親切に教えて下さり、その 後も何度か、先生の研究室で指導をして下さいました。幸運にも、その時に示唆して頂いた問題のひとつを解くことが出来て、私の博士論文の一部となりまし た。それ以外にも、常日頃からいろいろなご指導を頂き、私にとっては(今も昔も)頭の上がらない大先輩です。

北田先生の最初の有名な研究業績は、たぶん上に触れたシュレディンガー方程式の長距離型散乱理論の完全性の証明だろうと思います。シュレディンガー方程 式の散乱理論というのは、電子を記述するシュレディンガー方程式の解は、十分長い時間待つと、原子核に束縛される部分と、遠くに散乱して自由な運動に近づ く部分とに分かれる、という現象を解析する理論です。「短距離型」と呼ばれる場合の理論は、既に七〇年代始めまでにほぼ完成していたのですが、物理的に最 も重要なクーロン力の場合を含む、長距離型散乱の理論は未発達でした。北田先生は、この大問題の解決で有名になり、駒場の助教授に就任されたところでし た。

さらに、私が初めてお会いした当時、八〇年代は、北 田先生は熊ノ郷準先生、谷島賢二先生、磯崎洋先生との一連の共同研究で、散乱理論における超局所解析の手法の導入に大きな成果を挙げている時期でした。大 きな理論的貢献というのは、しばしば、時間が経つと「昔からあった伝承」という風に思われる事があります。散乱理論における超局所解析の手法は、北田先生 を中心に導入された理論である事実も、残念ながら時として忘れられがちです。「磯崎・北田の変型子」(Isozaki-Kitada modifier)は、シュレディンガー方程式の長距離型摂動の理論では標準的な道具となっていますが、それ以外の「民間伝承」のように使われている多く の手法も、北田先生たちの当時の論文に由来しています。

もちろん、北田先生はそれ以降も多くの研究業績を挙げられ、数冊の教科書、著書を執筆、また専門的なジャーナルの編集委員も歴任していらっしゃいます。 東京大学在職中は、健康の勝れなかった時期もあり、いろいろなご苦労もあった事と伺っておりますが、定年後も、気が向いた時には駒場にお出でになり、いつ も変わらない、穏やかな笑顔をお見せ頂ければと思っております。

北田先生、長い間、本当にありがとうございました。ご健康と、ますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

(数理)

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