HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報545号(2013年4月 3日)

教養学部報

第545号 外部公開

〈駒場をあとに〉 これまでの夢、これからの夢

丹治愛

駒場に着任したのは昭和から平成へと元号が改まった直後の四月だった。したがってもう二十三年にも なる。その間、駒場では、大学院重点化、大学設置基準の大綱化による前期課程カリキュラム改革と再改革、学生による授業評価アンケートの導入、国立大学法 人化、進学振分け制度の改革、後期課程改革など、さまざまな変化があった。なかでも、大学院重点化と授業評価アンケート導入は、わたし個人にとってとくに 大きな変化だった。

というのは、大学院重点化の結果、「英語教室」に所属していたわたしは、最終的に「言語情報科学専攻」というところに所属することになり、それまでに自 分が馴染んでいた伝統的な英文学研究を、専攻の基盤である「言語態」という新しい概念にそって変容させていくことを求められることになったからである。そ の新しく多義的な概念に具体的な肉付けをあたえるためには、批評理論についても勉強しなおさなければならなかったが、文学にたいする新しいアプローチの模 索自体は、わたしには愉快で刺激的な作業となった。

それとともに、十九世紀から二十世紀にかけての世紀転換期に書かれたものであれば、どのようなジャンルのテクストでも読むように心がけるようになった ――文学作品のみならず、歴史資料も、科学的論文も、政治的文書も、思想的作品も、すべてがその時代の「言語態」(この用語のひとつの意味は「言語的生系」である)を形成している全体の一部なのだろうと考えたからである。そのような読み方をしているうちに、それまでの自分には見えていなかったものが見えてくるような気がして、文学研究がいっそうおもしろく感じられるようになった。

もちろんおもしろいと感じているだけではだめで、もしも駒場退任後に暇ができれば、そしてもしもこの怠惰な性格をなおすことができれば、そのような読書 の成果を、イングリッシュネス、動物愛護、心霊研究といった主題ごとに何本かの論文にまとめてみたいと考えている。反古に等しいものにしかならないのはわ かっているが、それでも自己満足のためにまとめてみたい――いまはそれが退任後の第一の夢となっている。

学生による授業評価アンケートの導入もわたしには大きな変化だった。それまではあまり教育方法について考えることがなかった怠惰な教育者であったわたし も、総合評価を平均並みにもちあげるために人並み以上の努力を強いられることになったからである。前期課程では英語のリーディングとライティングを担当す ることが多かったが、できるだけ学生と対話しながら進める授業形態を自分なりに確立してからは、毎週ないし隔週のレポートの添削に時間がとられるように なった分負担は大幅に増加したが、授業時間自体は楽しく感じられるようになったし、学期後に、学生の好意的なコメントに心癒されることも多くなった――も ちろん、傷つけられることもあったが。

それにしても、なにか課題をあたえるだけで、学生どうしが真剣に対話をはじめたり、わたしとの対話に生き生きと応じてくれたりしたのは、駒場ならではの 現象だったのではないかと思う。駒場は研究の場としてもそうであるが、教育の場としても最高に刺激的な場だった。そのような夢のような場に二十三年間も身 を置くことによって、文学研究の方法ばかりか、教育の技術を鍛える機会もあたえられたことは、ほんとうに幸福なことだった。そのせいだろう、二十三年と 言っても、振り返れば一場の夢のごとしである。

駒場退任後は、某私立大学の文学部英文科で英文学を教えることになっている。目が回るほど多事多難な嵐の駒場を逃れて無風の英文科へ、とは思っていな い。駒場で鍛えてもらった文学研究のアプローチと、これも駒場で鍛えてもらった対話的な教育方法とを、すなわち自分なりに身につけた駒場的なものを、「英 文学」教育を大看板にした新しい職場に少しでも伝えたいと考えている。英文科の学生と真剣に対話しながら、自分なりの英文学の研究方法を伝える自分なりの 英文学教育の新たな方法を見つけていきたいと考えている。それが退任後の第二の夢である。

あとは残された紙面でお礼とお別れのご挨拶を述べるばかりである。わたしが駒場に着任したのをもっとも喜んでくれたのは、両親と妻をのぞけば大学院時代 の指導教官だった小池銈先生だったろう。長年のご指導に深謝するほかはない。もしも先生がご存命であれば、定年前に駒場を去るというわたしの決断を、例の 柔らかな口調で「しようがないですね」とおっしゃった気がする。両親は妻と同じことを言ったことだろう。

駒場ではそれこそいろいろな機会をとおして、たくさんの先生方(とくに英語部会の)、非常勤をふくめた事務の方々(とくに教務課の)、学生たちにお世話 になった。感謝にたえない。とくに言語情報科学専攻の同僚には、どう感謝したらいいのかわからない。二年間、専攻長を務めさせていただいたが、専攻の中心 として力不足を感じざるをえないことの連続だった。それでもいつも周りに集って支えてくれる優しい同僚に恵まれたことをどれほど幸福に思ったことか。もう これ以上のご迷惑をおかけできないと思ったしだいである。今から二十六年前に書かれた小池先生の駒場退任のご挨拶の最終行を引用して、お別れのご挨拶とし たい――「もう、ひっそりと過ぎ行くべき時であろう。こんな書き棄てた反古ひとひらを置き土産にして」。

長い間、お世話になりました。駒場はこれからもわたしの夢です。

(言語情報科学専攻/英語)

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