HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報546号(2012年4月 4日)

教養学部報

第546号 外部公開

〈時に沿って〉 駒場という〈風景〉

竹峰義和

はじめて駒場を訪れたのは一九九七年冬、大学院の修士課程を受験したときだったから、もう十五年もまえになる。そのあと、なんとか大学院に合格し、総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論コース)の学生となって以降、ドイツに留学した二年間を除けば、院生、ポスドク研究員、非常勤講師と、身分は変化しながらも、ずっと駒場に通いつづけた。とりわけ博士論文の追い込みの時期は、図書館に籠ってひたすらキーボードを叩くだけの毎日で、キャンパス内に暮らしているも同然だった。もっとも、その図書館も、かつての正門脇の古めかしい建物ではなく、無人となった駒場寮を見下ろすようにつくられた現在のモダンな建物であり、駒場寮もいつのまにか取り壊され、芝生が敷きつめられた広場となった。この十五年間で変わったのはそれだけではない。

多くの授業を受けた八号館はリニューアルされ、事務室、研究室、生協、学食は新しい建物に移動し、コース恒例の新歓すき焼きコンパが開催された同窓会館は跡形もなく消え失せた。さらに、指導教官だった杉橋陽一先生をはじめ、お世話になった多くの先生方が退職された。けれども、駅の階段を下りて正門を抜けると、いつもほっとした気分になったのは、個々の部分がどれほど変化しようとも、キャンパス全体の〈風景〉がつねに同じだったからであろう。ちょうど銀杏並木の木々が季節に合わせて色を変え、落葉してはまた芽吹くように、駒場の建物や人間もまた、入れ替わりを絶えず繰り返しながらも、その変化や変遷も含めて、キャンパスを構成する〈風景〉をなしているのだ――教室の床に散乱するビラ、水はけが妙に悪い道、踏みつぶされた銀杏の実の強烈な匂いなど、おそらくは永遠に変わることがないものの数々とともに。

昨年一〇月、総合文化研究科言語情報科学専攻所属のドイツ語担当教員として駒場に戻ってきたのだが、キャンパスを歩いていても以前と感じが違ってどことなく落ち着かない。まだ学生気分が抜け切っていないからだろうと思っていたが、その理由はむしろ、好むと好まざるとにかかわらず、自分が駒場という〈風景〉の一部となってしまったという点に起因しているのかもしれない。つまり、駒場を一時の訪問客として通過していく立場ではもはやなく、いつまでもこの場所にとどまりつづける住人の側にいるという事実に、どうもまだ馴染めていないのではないか。ともあれ、私が無事に定年まで勤め上げられるとすれば、まだあと三〇年近い時間があるのだから、そのあいだに〈風景〉であることにたいする違和感も徐々に消えていくことだろう。

そして、今年の新入生も含めた駒場の無数の訪問客たちの記憶のなかに、願わくはドイツ語の知識とともに、豊かで鮮明な〈風景〉を焼き付けることに寄与することができればと、新任教員の抱負として思わなくもないのだが、しかし、いまのところはまだ、その〈風景〉のなかに自分がいることをうまく想像できないでいる。

(言語情報科学専攻/ドイツ語)

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