HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報547号(2012年5月 2日)

教養学部報

第547号 外部公開

進学の三原則

酒井邦嘉

今年も駒場の「進学振分け」の時期が近づいてきた。周知のように、「進学する(後期課程の)学部・学科等は入学後一年半を経た後に、学生の志望と成績をもとにして内定される」わけだが、平成一八年度の新入生より、すべての前期課程の科類からどの学部にも進学できる進学枠が一定数設けられ、学生すべてに進学振分けが実施されている。今年度は教養学部の後期課程が久しぶりに改組され、教養学科、学際科学科、統合自然科学科の三学科体制となった。私は統合自然科学科の広報を担当しているため、今年の進学の動向には特に注目している。

547-B-1-2.jpg志望学科が既に決まっているかどうかに関わらず、進学について悩んだり迷ったりしている学生は少なくないだろう。私の場合、どんなことにも迷うことなく決心がつく性分なのだが、進学後の進路は一本道ではなかった。理科一類から理学部物理学科に進学するときには、既に修士課程で生物学(ショウジョウバエで神経発生)を専攻することを決めていたし、博士課程では物理学専攻に居ながら医学部で脳研究(ニホンザルで長期記憶の神経メカニズム)を行っていた。前期課程の頃は、人間の心や言語の問題に対してさほど関心が高くなかったので、後に「目覚めて」それが現在の研究テーマ(人間に特異的な言語能力等の神経機構)になろうとは、当時夢にも思わなかった。今では、物理学(「力学」など)や脳神経科学・言語学の講義を担当している。

こうして事実上、私は理系と文系の垣根を超えることになったわけだが、「学問はあくまで一つ」という信念に変わりはない。そこで、進学ガイダンスや学科ガイダンスなどの機会には、分野に捕われない進学の心構えについて話をしている。個性豊かな学生たちにどこまで普遍化できるかは未知数だが、本題である「進学の三原則」について述べてみよう。

一.進学先の必修科目の単位が取得できること。
二.分野よりも教員を重視しよう。
三.自分だけでよく考えて進学先を決めよう。

まず第一の原則は大前提だ。そうでないと、大学を卒業できないからである。つまり、進学できるか悩む前に、卒業できるかどうかを重視したい。その判断が下せるためには、自分の得手不得手はもちろん、今後二、三年間の伸び代を的確に予想しておく必要がある。このことは、自分に対し甘すぎず、しかも厳しすぎずに、「自分の持ち味」という個性を見極めることにつながる。

第二の原則は、進学後のさらにその先の進路を決めるときまで関係する。特定の分野に固執すると、将来の方向性が限られてくるからである。実際、自分の興味というものは今後さまざまな理由で変わりうる。隣の芝生は青いし、学問にも流行り廃りがある。学生時代に成長して物事の奥深さが見えてくるようになれば、自然と興味の持ち方自体が変わってくるものだ。一方、学科ガイダンスではその学科の分野がいかに魅力的であるかが力説されるわけだから、その情報だけで選択肢を絞り込むのは難しいだろう。

そこで、自分をうまく導いてくれそうな教員がどの学科にいるかを講義や面談などを通して知り、その点を重視して進学先を選ぶのが有効な原則となる。ここで重要となる学生と教員の「相性」とは、単なる好みの問題ではない。教員が何を説明しようとしているのかを把握する学生側の「想像力」と、学生が何を必要としているのかを理解する教員側の「想像力」とがうまく噛み合わないと、そもそもお互いに話が通じないのである。たとえ専門性の高い学問の世界であっても、「話せば分かる」ような対人関係が根底に必要であろう。

最後に第三の原則は、「自分本位」に徹することでもある。何事も最後には自分で決めるしかない。誰も自分以外の人の将来に対して責任を持ち続けることはできないのである。まして、世の風潮といった不確かな基準に自分の将来を委ねることは避けねばならない。例えば「実学志向」の進路選択は、果たして就職に有利なのだろうか。本当に有利な学部や学科があるならば、学生が集中する結果として競争が激しくなるに違いない。要は「流されない」ということに尽きる。

以上の三原則に従って進学先を決めれば、自分のアンテナを意識的に未来へ向けることにつながり、自信を持って進学できることだろう(十年後に各自で検証して欲しい)。たとえそれが回り道になったとしても後悔せずに済むのは、自分で考え責任を持って進路を決めたという自負があるからだ。成績は大部分が「自己責任」だが、定員数や学科の人気度といった要素は、自分ではコントロールできない制約である。さまざまな制約の中で流されずに進路を選ぶためには、まず自分自身を良く知ることから始めてみてはどうだろうか。そのためには、じっくりと好きな本を読みながら自分の頭で考えることだ。インターネットで情報を検索するだけでは、考える暇がなくていけない。不思議なことに、自分の求める答は自分の選んだ本の中に見つかるものである。それは、脳の精妙な探索能力のなせる技なのだ。

(相関基礎科学系/相関自然)

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