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第548号 外部公開

議論風発の教室へようこそ

小森陽一

「日本語日本文学Ⅱ」では、三・一一以後の状況の中で宮澤賢治の『注文の多い料理店』を、読み直しています。なぜ三・一一と宮澤賢治がかかわるのかと言えば、賢治が生まれた一八九六年六月一五日に明治三陸大地震と大津波が、そしてこの世を去る一九三三年三月三日に昭和三陸沖地震と大津波が発生しているからです。

『注文の多い料理店』初版本の振替用紙裏の広告文には、題名の前に「イーハトヴ童話」とあり、さらに「イーハトヴは一つの地名である」、「実にこれは作者の心象中に、この様な状景をもつて実在した/ドリームランドとしての日本岩手県である」という文も印刷されています。

現実の「日本岩手県」を、「ドリームランド」として位置づけ直したところに現象するのが「イーハトヴ」なのである。「ドリームランド」とはすなわち「ユートピア」のことです。

トマス・モアが「どこにもない場所」というラテン語の造語を考案して、「羊が人間を喰う」、エンクロージャー時代の、過酷な現実の対極に、理想的共産主義社会を描いたように、「ユートピア」文学は、最も厳しい現実の中で構想されます。

「日本岩手県」が歴史的にそのような地域であったからこそ、「イーハトヴ」は「ドリームランド」として夢見られていたのだと思います。それを読み解いていこうとしています。

授業の方法は、一つのお話を音読し、学生のみなさんに、まず二項対立的世界を発見してもらいます。お話を構成する基本的単位は、世界を二つに分けて、その間の境界領域を、中心的登場人物が境界越えをして移動することによって成立していますから、その基本単位をできるだけたくさん発見してみるという実践です。

たとえば冒頭の『どんぐりと山猫』であったら、一郎という少年のところに、山猫から「めんどなさいばん」への案内状が来るというところから物語がはじまりますから、一報では人間の世界と山猫の世界とに大きく分けて、その境界領域に他のどのような存在が位置するのかを考えていくという、具体的な世界の、二分割の連鎖を分析していくことになります。

他方では「めんどなさいばん」とは、誰が「いちばんえらい」のかという、どんぐりたちの争いに決着をつけることですから、「えらい」とその対立概念といった抽象的な二項対立を見つけ出さなければならない場合もあります。

この二つの作業をとおして、物語の構造自体はかなり明確になっていきますが、文学テクストで大切なのは、なかなか論理化できない感情の領域です。そこで第二段階として、「最もよく理解できて共感できたところ」と、「よく理解できずに異和感を感じたところ」を一人ひとりに出してもらうことになります。

同じ一人の読者の中で、ある物語設定には共感できて、別な設定に異和感を抱くとすれば、そこには何か物語の仕掛けが内在しているにちがいないのです。

この前の『どんぐりと山猫』の授業では、裁判が終わった終った後の山猫のある一つの科白に、何人もの学生が異和感と共感を同時に感じたようでした。

その科白とは、「そこで今日のお礼ですが、あなたは黄金(きん)のどんぐり一升と、塩鮭のあたまと、どっちをお好きですか」というもの。山猫だから「塩鮭のあたま」が好物なのはよくわかるはずです。けれどもそれと並べて、さっきまで裁判をしていた、それぞれが個別に自己主張していた、「黄金のどんぐり」を「お礼」として一郎に渡していいのだろうか? しかも一郎は「黄金のどんぐりがすきです」と答えてもいます。

「一升」とは一個二個と数えられない穀物や液体をはかる単位ではないのか? どんぐりたちは一人ひとり、誰が「いちばんえらい」のかを競っていたのではないか? 人間と同じ言葉を発していたどんぐりはどうなってしまうの? そんな疑問の数々が渦を巻いてくれば、教室は思考の坩堝(るつぼ)になっていきます。

山猫にとっての「塩鮭のあたま」は、自然界に存在する食物ではなく、人間界から盗んでくるしかないものです。それと同じようにどんぐりのことを考えたらどうなるでしょう。どんぐりは漢字で書くと「団栗」です。この物語には栗の木も登場します。栗の実は人間の食物です。しかし「団栗」は……。

教室の中で「どんぐり」を食べたことのある学生はわずか三人でした。しかし、「イーハトヴ」が位置する現実の東北では、冷害をはじめとした要因で、飢饉になれば、鹿や猪や熊の食べ物であるどんぐりを森の中で、人間が必死になって集めなければ、生きていけなくなることが度々ありました。

新設される学際日本文化論コースでは、こうした議論が飛び交いつづけることになるでしょう。

(言語情報科学系/国文・漢文)
 

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