HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報551号(2012年11月 7日)

教養学部報

第551号 外部公開

さようなら、駒場

佐々真一

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2012年6月、ジリオ島(イタリア)の研究集会で質問中らしい。
主催者グループの学生が送ってくれた。
一九九四年十月十二日。講義開始時刻二〇分前に教室に入って、学生が座る椅子に座っていた。講義開始時刻になって、すっと前にでていく。足は震え、心臓はバクバクしていた。マイクを持って声をはりあげた。しばらくして、学生が言う。「先生、マイクやめてください。音が割れて耳が痛いです。」それ以来、ずっとマイクを持ってなかった。百人くらいの学生でも何とか声は通る。学生のアンケートでは、「早口だ」「聞き取りにくい」「暑苦しい」「擬音語が多すぎる」など、講義技術への厳しい批判がたくさん書かれていた。一念発起して今年はマイクを持ってみた。テンションを抑えて、擬音語を控えめにして、少しはましになったかな。少なくとも努力していることは評価して欲しい。

二〇一二年七月十一日。ついに、東大一年生への最後の講義を迎えた。教室に向かう途中、十八年の講義のあれこれを思い出して、少し感傷的になっていた。泣くかもしれない、と思ったが、そんなことはなかった。「私事で恐縮ですが、今日が東大一年生への最後の講義になります。」からはじまる簡単なあいさつを最後にした。ほとんどの学生にとっては、僕が東大にいてもいなくても、その日で最後の講義だから、どうでもよかったに違いない。それでも、数人の学生から「先生が東大からいなくなって寂しい。」と言ってもらえたのは嬉しかった。

研究は、自分が目指したところには遠く及ばなかったが、「東大駒場で研究している。」と言っても恥ずかしくないラインは超えたかな。ただし、狭い空間に多様な分野の一流専門家が集まっている駒場の環境をもう少し有効に使いたかった。僕の能力の限界だった。歯車がずれて悲惨な状況になった可能性もかなりあったのに、そうならなかったのは、歴代研究室メンバーの皆さん、共同研究者の皆さん、同僚の皆さんのおかげであろう。四〇歳を超えて新しく学んだ技術もたくさんあるし、四五歳を超えてから勉強しつつ研究したテーマもある。

面白いと思うことは貪欲に勉強しながら、自分で手と頭を動かしたい。自分で長い計算をしなくなったら研究をやめる。最近は自分の頭が弱ってきて、そのせいで学生に負けると思うことも多い。しかし、冷静に考えると、それは単なる勘違いで、いつのときも僕の頭は鈍く、いつも周りにいる人たちに負けていたのかもしれない。それでも今日まで研究しているのだから、きっと明日も研究できると信じることにする。

同僚の先生方からは「なぜ駒場を離れるのですか?」という疑問文の形をとったやや批判的ニュアンスを伴ったコメントを頂いた。駒場の複雑な組織をようやく理解しはじめ、これから駒場の組織運営のためにもっと仕事をしないといけない年頃だった。特に、後期課程では統合自然科学科が始まる矢先に離脱するのは大変申し訳なく感じている。膨大な学内業務をこなしつつ、魅力的な講義を行い、研究業績を積み上げている同僚の先生方を見習ってその真似事でもしてみようとあがいてみた。

おかしなもので、研究時間が多くとれた若手時代より、その確保が難しくなってからの方がより納得できる研究が残せるようになった。(僕が今までで一番気にいっている研究は、おそらくもっとも忙しかった今年発表した論文である。)ただし、下手すれば、業務も半端、講義も半端、研究も半端ということになりかねないので、恰好いい姿を真似るのはほどほどにしたい。

来年度以降、一年に二度くらい定期的に駒場を訪問したい。そういう機会を意図的につくることで今までと違った交流ができるかもしれない。教員としては後十七年近く任期がある。これを読んでいる学生や院生の皆さん、事務職員の皆さん、教員の皆さんとは、思いもかけない場所でお会いすることもあるでしょう。そのときには暖かいまなざしで声をかけてください。

(相関基礎科学系/相関自然)

 

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