HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報553号(2013年1月 9日)

教養学部報

第553号 外部公開

〈時に沿って〉道草の詩学

大石和欣

駒場東大前の駅を降り、正門を抜けると右へ行く。研究室がある十八号館へは一号館の左手に回るのが近道だが、つい右折してしまう。仕事場に直行するのが億劫なことも確かだが、一〇一号館を見るのが楽しみなのだ。

注目されることなく忘却の深淵に埋没しかけたような建物だが、一番駒場らしい風情を保っていて私は好きだ。一九三五年の一高移転を期に、第十四代東大総長も務めた内田祥三(よしかず)が清水幸重とともに設計した。博物館、九〇〇番教室、さらに実は一号館もすべてこの二人の設計である。

安田講堂や総合図書館、医学部など本郷キャンパスの多くの建築物も内田が手掛けた歴史的遺産だが、「内田ゴシック」といわれる重厚な様式が多い中で、一〇一号館、博物館、九〇〇番教室のデザインは異彩を放っている。窓枠や破風にネオ・ゴシックの残影を留めながら、全体としてはモダニズム時代の主流である鉄筋コンクリートによる直線的なデザインであり、それでいてそこかしこに当時流行りのアール・デコの香りが漂う。一〇一号館は他の二つに比べて派手さはないが、ちょっぴり遊び心を抱きながらも背伸びすることなくまじめに学問に勤しむ一、二年生の姿を想起させていい。

平凡に見えるが同じ様式美を備えた建築物はあまり残存せず、偽安田講堂と言われる一号館よりもずっと価値ある建築物だと思う。雑然とした庭回りを整備すれば、驚くほど見栄えがよくなる。研究室がここにあればと垂涎しながら徘徊したのち、足取り重く無機質な十八号館へ向かう。

建築物の栄光は幾世代もの人波に洗われた壁に宿る喧騒感、神秘的な共感にある。そう言ったのはイギリスの思想家ジョン・ラスキンだ。彼にとって建築物は過去と未来をつなぎとめる遺産であった。一〇一号館もその一例であろう。その前に立つと、淡白な建物が乱立し出した駒場の中でホッとする。大学も組織も時にそって変化すべきだろうが、過去の時間が揺蕩(たゆた)うトポス、いわば記憶のふき溜まりには、現在と未来を見つめ直させる磁力があると思う。

思えば道草は私の性分で、そこから私の駒場生活が始まった。一年生時、必修だった科学史の授業に向かう途上、とある教室から朗々とした英詩の朗読が聞こえてきた。面白そうなので、教科書も持たずに中に入ってしまった。上島建吉先生によるミルトンの『失楽園』ゼミだった。同じように必修授業に行け(か)ないまま山内久明先生や故出淵博先生の英詩ゼミにも出席し、その縁もあってイギリス・ロマン主義文学の研究を志すことになる。専門は本郷に行ったが、中村健二先生のゼミに出たり、歴史に関心を移すようになってからは草光俊雄先生から本を借りたりと駒場にはお世話になった。

現在はチャリティの思想や公共圏といった問題をロマン主義時代の言説の中で考察しながら、二〇世紀初頭の建築物の表象も探っているが、まっすぐに進まずつい右折してしまうので、まとまらないままである。曲がった道の先に見える風景の美学を説いたのもラスキンだが、駒場において豊かな知性の景色を楽しみながら過去の遺産と学問の未来について考えていきたいと思っている。

(言語情報科学専攻/英語)

 

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