HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報553号(2013年1月 9日)

教養学部報

第553号 外部公開

鈴木英夫先生を送る

伊藤たかね

鈴木英夫先生は、昭和六一年に本学部に着任なさって以来、二十七年にわたって駒場の教壇に立って来られました。私から見た鈴木先生は、子どものような純粋さを持ち続けている先輩でした。

好きなもの、面白いと思うものを、脇目もふらずにつきつめていく純粋さは研究者に共通のものであるかもしれませんが、たとえば個人用のコンピュータをごく初期に入手なさった話をなさる時など(NECのPC8800シリーズだったと伺ったと思います)、お気に入りのおもちゃを手に入れた子どものような、本当に嬉しそうな表情をなさいます。文系の研究者の間では、ワープロ専用機すらあまり出回っておらず、私などはまだタイプライターを使っていた時期だと思いますから、その「惚れ込みよう」が想像できます。その愛するおもちゃを、しかしおもちゃには終わらせず、ご自身の研究・教育の重要な柱として取り入れ、鈴木先生はコンピュータを用いた英語教育・文学研究の分野のパイオニアとして大きな貢献をなさいました。

一つのことを丁寧にやり始めると「とめられない」のも鈴木先生でした。どのような業務をお引き受けになっても、そこまでやらなくても、と思わせる徹底したお仕事ぶりで、ただただ感服した経験は一度や二度ではありません。ほんの一例を挙げると、英語部会で毎年懇親会を行いますが、鈴木先生が幹事をなさった年は最も印象深い会となりました。後に伺ったところ、良い会場を求めて、何ヶ月も前から都内の有名ホテルのレストランをいくつも「食べ歩き」なさったのだとか。中途半端に妥協せず、とことんつきつめる、鈴木先生ならではのこだわりの会でした。

先生の授業を拝見する機会は残念ながらありませんでしたが、大学における英語教育についての先生の論考を拝読すると、こうした先生の一途な思い、とりわけ、詩を愛する先生のことばへの強い思いが、先生の教室を豊かなものにしていたことがよくわかります。表現の細部にまでこだわって精読するその姿勢は、学生にとって新鮮な驚きであったことでしょう。外国語であれ母語であれ、「つきつめて読む」ことの意味を、先生はご自身の読み方を示すことによって学生にも体感させておられたのだと思います。

その一途な思いが駒場の教室に向けられることがなくなるのは本当に残念ですが、駒場を離れても、変わることのない純粋さで、詩と音楽の関係を追求し続けて行かれることと思います。忙しさを言い訳にほどほどのところであきらめることの多い我が身を顧みると身の縮む思いですが、そんな後輩に対する苦い思いを表情に出されることなく、いつも暖かく励まして下さった、そこ(だけ)は「おとな」の鈴木先生に、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

どうかいつまでも、子どものように純粋な鈴木先生であり続けて下さい。お元気で。

(言語情報科学専攻/英語)
 

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