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最終更新日:2018.07.09

教養学部報

第554号 外部公開

〈駒場をあとに〉西部劇から四半世紀の想い出と所感

山脇直司

早いもので、私が西部劇に巻き込まれる形で駒場に赴任してから四半世紀も経ち、退職を迎えることになった。ここで言う西部劇とは、私と共に赴任するはずだったタレント学者の人事が頓挫したことに憤って辞職し、それを彼なりに劇場(戯画)化して出版し、かなりの話題を呼んだ教授の方の名前にちなむものである。一九八〇年代の初めに旧西ドイツから帰国し、当時の日本のニューアカと称する思想が島国日本だけでしか通用しない(今日の言葉でいえば)ガラパゴス化の産物に過ぎないと思っていた私としては、この三文劇を苦笑しながら受け取るしかなかった。

そうしたハプニングはさておき、着任して二年も経たなかった前任校を去ってまで私が駒場に赴任を決めた大きな理由は、学際性と国際性を理念に掲げる教養学部と、哲学と社会諸科学を再統合することを理念に掲げる社会科学科に大きな魅力を感じたためである。それ故、私は、東京大学に就職したというよりも、駒場キャンパスに就職したという実感を現在に至るまで持ち続けており、稀に訪れる本郷キャンパスに足を踏み入れると、これが一般にイメージされている東京大なのかという奇妙な思いに襲われてしまうほどである。

私が着任してからは、フランスの哲学者リオタールが唱えていた「大きな物語の終焉」という時代診断を嘲笑するかのように、世界情勢は大きく揺れ動き、様々な大きな出来事が起こり続けた。一九八九年一一月のベルリンの壁崩壊に続く一連の出来事によって、冷戦体制が崩壊し、ソビエトも終焉した。旧ユーゴでは痛ましい内戦が勃発し、湾岸戦争も起こった。そうした中、私は、書き下ろしの『ヨーロッパ社会思想史』を一九九二年春に東大出版会から刊行したが、赴任後の処女作でもあるこの本は、今でも通史としての賞味期限を切っていないと私は自負している(現在十二刷)。

日本の一九九〇年代も波乱の年であった。特に一九九五年には、阪神・淡路大震災に引き続き、地下鉄サリン事件が起こり、カルト集団オウムの幹部が逮捕されるにいたった。そして、この事件に東大大学院卒業生も絡んでいたことは、倫理なき科学技術研究の暴走という観点からも決して忘れてはならないと私は思う。また、先にあげたニューアカと呼ばれる一部のタレント学者がオウムを持ち上げる言説を放っていたことも嘆かわしい。「知の技法」だけではなく、「知の責任」が厳しく問われなければならない所以である。

ところで、私の駒場での学問上の転機は一九九六年に起こった。すなわち、一九九六年から大学院の改組が行われるにあたって、当時の大森彌学部長と山本泰学部長補佐の提唱で、公共哲学という科目を大学院で担当させられることになったのである。当初、私の念頭にあったのは、ロバート・ベラーの「公共哲学としての社会科学」であった。しかし、時をほぼ同じくして京都の方でも公共哲学をめぐる民間主催のフォーラムが発足しており、そのフォーラムへの参加・協力を通して自分なりの公共哲学論を発展することができた。私なりの成果は、すでに新書などの形で数冊発表しているが、いま現在の私は、公共哲学を「より良き公正な社会を追究しつつ、現下の公共的諸問題を市民とともに論考する実践的学問」と理解している。

これは、日本で突如として有名になったサンデルや彼の師テイラーの見解とも、またドイツのハーバーマスや私の恩師シュペーマンの社会哲学観ともほぼマッチするように思う。二〇〇一年九月一一日と二〇一一年三月一一日の出来事は、そうした意味での公共哲学に避けられない問題を提起したが、私は微力ながらも二〇〇三年秋には九〇〇番教室でドイツ語の池田信雄先生の協力を得てイラク戦争反対のシンポジウムを開いたり、二〇一一年冬学期には理系の小宮山進先生、菅原正先生とともに、外部からの講師を招いて一連の講演会を開いたことは、特に強く印象に残っている。

そのような想い出とともに、二〇〇九年から二〇一一年にかけて、日ごろ親しくしていた私よりも若い四名もの先生があっという間に病気で逝去されたことは、本当に悲しく痛々しい出来事であった。駒場は、人間関係という点でのストレスは少ないものの、常に交感神経を高ぶらせて仕事に没入しなければならない職場のためなのであろうか。いずれにせよ、私自身も月に二回の鍼治療が欠かせない程であることからして、かなりハードな職場であることは否めない。

そのような職場ではあるが、依然として教養学部の生みの親である当時の総長南原繁の次の言葉を追求する駒場の使命は変わってほしくない。

「教養の目指すところは、諸々の科学の部門を結びつける目的や価値の共通性についてであり、かような価値目的に対して、深い理解と判断とをもつた人間を養成することである。われわれの日常生活において、われわれの思惟と行動とを導くものは、必ずしも専門的知識や研究の成果でなく、むしろそのような一般教養によるものである。それは究極において、われわれが一個の人間として人生と世界に対する態度――随つて道徳と宗教にまで連なる問題である。」(『教養学部報』創刊号より)

私も退職後は、この南原の言葉や、四半世紀にわたる駒場での経験を活かしつつ、共生、統合、公共などをキーワードに新たな道を歩んでいきたいと思う。末筆ではあるが、駒場で出会った数々のすばらしい先生方や職員の方々に、心から感謝の意を表したい。

(国際社会科学専攻/社会・社会思想史)

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