HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報554号(2013年2月 6日)

教養学部報

第554号 外部公開

〈駒場をあとに〉思い出と期待

野口 潤次郎

554-D-6-1-1.jpg駒場キャンパスには樹木が多い。初冬の時期になるとたいへん綺麗な赤になる紅葉が何本か在る。また大きな銀杏の葉が黄金色になるのも素晴らしい。散策時には紅葉狩りが楽しみになる。教養学部事務棟北側の正門寄りにある大きなヒマラヤ杉や黒松、泰山木のある一角もよい。朝、脇を通るといつも樹脂の香りがほのかに漂っていて、すがすがしい気持ちにしてくれる。東工大から平成十年の三月に東大駒場の数理科学研究科へ移動した時は、数理二期棟が丁度完成した時で、全く新品の部屋に入った。その時以来十五年勤めさせてもらったことになる。一数学者として教育・研究に充実した時を持たせて頂き深く感謝している。

その間、通勤も湘南新宿ラインができて大船から乗り換えなしで渋谷まで来られるようになり、大分楽になった。ある年の冬、その湘南新宿ラインが鶴見の辺りで東海道線沿いと別れ新川崎方面へと進み、しばらくすると左手に白く冠雪した富士、黒っぽい丹沢山塊が見え、その右手奥に真っ白な稜線をみつけた。初めこれは奥秩父の一部かと思った。家で地図をみながら検討してみるとどうも笹子峠を通して白根三山を見ているようである。その後、双眼鏡を持参し稜線をよくみるとやはり北岳ではないか。富士山に次ぐ日本第二の高峰北岳、次に間の岳そして濃鳥への広い稜線へと続いている。この稜線は昔大きなキスリングを背に何度か歩いた。それからは、冬の朝早い通勤が楽しみになり、一限の授業も苦でなくなった。

初めの職は、東工大の修士を終えて直ぐに就いた広島大学の助手であった。
その後阪大、東工大、そして東大へと移動し四〇年経った。それぞれ、その土地その大学の良さがあった。数学の研究も波があり、考える種がなくなったように思った時期もあった。そのような時期は、学会へ出て講演を聴いても、どれもつまらなく感じた。神社へ祈念しにも行った。数学というものは、自分が面白いと思わなければどうにも動かないものであると痛感した。当然と言えば当然であるが、これを経験して少し心の持ちようが変わった。

神様が哀れんでくれたのか、関数体上のラング予想を解いた後に残っていたS・ラングのコンパクト小林双曲的多様体に関するある有限性予想が証明できたのは嬉しかった。その後、東大へ移籍して、助手であった七〇年代後半に考え始めずっとできなかった問題が、世紀が変わる頃に動き始めた。対象は、高次元代数多様体内の特に準アーベル多様体内の超越的な正則曲線の解析である。若い共同研究者の力を得てこの辺の問題をほぼ完全に解決できたのは、東大での一番の思い出である。

554-D-6-1-2.jpgこのような研究活動中に、アメリカやヨーロッパの国へ長期・短期で訪れる機会が何度かあった。研究のレベルについて差があると感じたことはなかったが、研究交流のレベルについては、大変な差があると感じた。研究集会で話を聞いていて、ああそういうことならば日本の何々さんがやっているな、と思っても引用されないのである。数学の研究でも専門分野である緩いグループを形成し、そこを中心に研究活動・研究人生を歩むのは世の東西を問わず共通である。その中で、日本人グループの存在感・プレゼンスがないのである。これは、なんとかしたいと思った。その頃は、公的研究資金としては最も一般的で大きな文部省の科学研究費が海外渡航・海外招聘にお金を使うことが許されていなかった。

その様な中で、日本数学会第三回国際研究集会、“Geometric Complex Analysis 1995”(略称GCA-95)を開催することになった。数学会から約二百万円の援助が付いたが、それだけでは不足で資金集めに非常な苦労をした。結果、中一日休憩日を挟んで五+一+五の日程で充実した研究集会を開くことができ、苦労は報われた。翌年九六年に、省庁の再編とかで文部省、文化庁、科学技術庁が一つの文部科学省になり、科学研究費にも大きな変化が起こり、なんと科研費が海外渡航・招聘に使用して良いことになったのである。なにやら、ベルリンの壁が崩れる前に無理して壁を乗り越えたような気分もしたが、GCA-95 の成功のお陰で国際的な研究集会をする下地ができた。

その後は開催地の地名にならい“Hayama Symposium on Complex Analysis in Several Variables”として概ね毎年開催され、この分野の世界的な活動シリーズの一つとして定着した。継続は力である。この様な中、日本の生んだ天才数学者岡潔先生の生誕百年記念会議を直弟子の西野利雄先生を長とする内外十人程の数学者で組織委員会が構成され、二〇〇一年の秋に京都・奈良で開催できたことも良い思い出である。

国際化もやたら制度改革や“英語だけ教育”などで何か実のあるものが出てくるとは思えない。日本の数学について言えば、研究レベルと研究交流ついては上述の様に一先ず満足できる状況と思う。しかし、新しい良い結果を発表する世界的な権威ある専門誌が、未だない。これには、高いレベルの研究に裏打ちされた地道な長い伝統が必要なのであろう。これからに期待したい。

我々世代は、いわゆる大東亜戦争敗北後の“団塊”の世代である。この世代は、XXブームというのを複数引き起こし戦後の高度経済成長に大いに貢献してきたと思う。これは正の面であるが、負の面もある。一番大きな負が、現行のとんでもない憲法を、義務教育時に刷り込まれた通りに“平和憲法”と称し“理想の憲法”と思い込んだままに、次の世代に引き継いでしまったことである。大学で数学を教えていてもかなり長いことその様な価値観から講義をしてきた。

数学であるから勿論直接にそれを出すわけではないが、そのような意識は背後から、教えるものを通して伝わってゆく。この事については、本当に一個人の行いとして悔やまれる。数年前に、防衛省の立派な方を非常勤教員として数理科学研究科で院生を対象に講義を二回ほどしてもらうという人事案が頓挫したのも、その結果であったと思う。現在、世論調査でも改憲の声が50%を超えるようになった。東京大学もそろそろ変わることを期待し、退職後の楽しみとしたい。

(数理)

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