HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報555号(2013年4月 3日)

教養学部報

第555号 外部公開

山中研究とガードン研究:分化と未分化、カエルとヒトをつなぐ「初期化」

道上達男

何を隠そう、私もiPS研究のごくごく一端を担っている。1年に一度、研究成果を報告する会があり、山中先生をお見かけする。テレビからも十分のその人柄は伝わってくるが、会合でも大きな会場の端の方に座り、いわゆる「前に前に」という方ではない。一方で、自分のラボの関係者とは気さくに会話をしていて、そういうところにすごく親近感を感じる。

京大の山中伸弥教授とイギリスのジョン・ガードン博士が2012年のノーベル医学・生理学賞を受賞したことは、受賞直後から数多く報道され、ご存じの方も多いと思う。特に「iPS細胞」は受賞前から既に有名であり、うちの大学の理系学生なら「iPS化って何?」という問いに「遺伝子を導入して分化細胞を未分化細胞にすること」といったくらいには答えを返せると思う(期待)。これまで動物細胞では分化細胞を、多分化能を有するような未分化状態に戻すことは無理だとされてきた。それをたった4つの遺伝子で可能としたところが衝撃的であり、最初の論文発表からわずか6年での受賞という点からもこの研究の重要性が理解できよう。

一方で、ガードン先生の研究内容は必ずしも日本では広く知られていない(発生学の研究としてはもちろん有名である)。ガードン先生の受賞対象は「核移植による細胞の初期化」であるが、簡単に言うとクローン生物の作出であり、それを(分化細胞の核を使って)動物で最初に成功させた研究ということになる。世の中ではヒツジのドリーが最初のクローン動物と思っている方が多いかもしれないが、ドリーの発表は1997年、アフリカツメガエルを使った彼の初期化実験は1975年、つまりそれより20年以上前の成果である。

私自身、ツメガエルの初期発生とiPSの分化誘導系の研究を両輪で行っているので、この二人の受賞はそういう意味でも感慨深い。ちなみに、昨年9月にツメガエル研究の国際学会がフランスで行われ、そこにガードン先生も出席された。実は全く同じ日程で日本ではiPS研究のシンポジウムがあり、ここには山中先生が出席されている。ノーベル賞受賞発表のわずか1ヶ月前のことであるが、なんか因縁(?)めいたものをこんなことでも感じる(私は日程がずれていたら両方出席する予定だったのだが、海外を選択してしまいました(苦笑))。

さて、これらの一見異なる研究がなぜ同時にノーベル賞を受賞したかというと、両者の共通点として先に書いた「初期化」というキーワードが浮かぶ。山中研究はごく限られた数の遺伝子を核に導入することで、分化細胞の中にある核が初期化するのに対し、ガードン研究は分化細胞の核を脱核した未受精卵に移植することで、細胞の影響を受けて移植した核が初期化される(図1)。では初期化とは何か? 人間をはじめとする動物のほとんどは、全く同じ細胞がただ集まっているのではなく、個々の役割を果たす様々な種類の細胞から成り立っている。これらは全て1つの細胞(=卵)から生み出され、1細胞がスタート、個体それぞれの細胞がゴールだと考えることができる。

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図1 山中研究とガードン研究の概略。

初期化とはゴールの細胞、あるいはそれに内包される核をスタート(に近いところ)に戻すことを意味する。これらの研究が注目される中で、改めて採り上げられる機会が増えた概念がある。C.H.Waddingtonが1950年代の著書『発生と分化の原理』で提示した「運河モデル」は細胞の分化・未分化に関するもので、細胞の分化状態を球に例え、球が山の上(未分化)から下(分化)に転がり落ち、下の谷の部分で止まるようなものであるとする。お分かりだと思うが、山中研究はボールを山の「下から上に」転がせたわけであり、このような発生学の概念を覆したとも言えるのである。

さて、人間との関わりを考えた時、これらの研究の位置づけはどうなるだろう。ガードン研究の先にはドリーがあり、更にはヒトクローン胚作製の捏造問題があった。ヒトクローンの作出には現在も成功していない。山中研究の先には再生医療応用があるが、iPS細胞の安全性の問題、再分化の方法論など、これからやらなければいけないことが山積している。一部のマスコミはiPS細胞を人工万能細胞と訳すが、少なくとも現時点で「万能」という言葉を平然と使うことには大きな抵抗がある。また、iPS細胞樹立前から広く用いられていた胚性幹細胞(ES細胞)はiPS細胞樹立のヒントにもなり、ES細胞の免疫拒絶の問題を回避することがiPS細胞の有利性にもつながり、実は同じことがクローン胚由来のES細胞によっても可能である…といったように、両者の関係は実はES細胞と併せ、やはり密接に関係していると言える。

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図2 Epigenetic Landscapeと呼ばれる運河モデルを説明する図
(C. H. Waddington, 「発生と分化の原理」日本語版より転載)

ガードン先生も、学生のポスターや発表にも耳を傾け、熱心にメモをとるような方であり、山中先生に通じるところがあるような気がする。逆に、残念ながら今のマスコミ、あるいは国の風潮として、これらの事についてお祭りのように騒ぎ、有頂天になり、万能だと過信する危惧があるが、こういうことに踊らされず謙虚かつ真摯な態度で正しく事実を理解し、研究を行っていきたいものである。栄誉を得た先生方自身がそうであるように。

(生命環境科学系/生物)

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