HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報558号(2013年7月 3日)

教養学部報

第558号 外部公開

文化、記号、バイオポリス――現代文化人類学のスナップショット

福島真人

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シンガポール・バイオポリス
ここ三年ほど、夏になると、国立シンガポール大学で行われるワークショップに毎年参加している。タイトルは、Asian Biopoleis というもので、biopolisの間違いかと思ったが、主催者のGreg Clancey氏にいわせると、ギリシャ語のpolisの複数形なので、biopoleisなんだそうである。

バイオポリスとは、もともとシンガポールが国策として進めている生命科学の一大拠点のことで、世界のトップレベルの生命科学者、および企業を誘致して、産学連携の巨大なセンターを作るのが目的である。Clancey氏はマサチューセッツ工科大学(MIT)の科学技術社会論プログラム出身の歴史学者で、専門は日本の技術史であるが、現在はシンガポール大学で教鞭を取っている。このMITのプログラムは、欧米で現在多数存在する科学技術社会論のセンターの一つだが、文化人類学が最初から深く関与しているのがその特徴である。

彼を中心に、現在進行しつつある生命科学と経済社会の相互関係を、アジア全域で比較研究しようというのが、このAsian Biopoleisワークショップの目的であり、今度の七月が最終回になる。シンガポールのみならず、西アジアをのぞくアジア全域に関係する研究者が集まる。そのディシプリンも様々だが、文化人類学系の人もかなりいる。そのうちの一人が、Mike Fischer氏で、文化人類学業界では、いわゆる民族誌(エスノグラフィー)論や、イランの宗教研究で有名な人である。またAihwa Ong氏はバークレーの文化人類学者で、もともとマレーシアの工場労働者が憑依現象という形で、工場の管理体制に「抵抗」するという本で名声をえた人である。こうした人たちが、競うようにシンガポールのバイオポリスの調査に入っているという事態が、現在の文化人類学のある種の側面を雄弁に語っている。

そもそも、生命科学に限らず、現在の科学技術は、世界のどの地域においても甚大な影響を与え続けている。だがそうした現状を、従来のどの分野で研究すればよいのかは、それほど明確ではない。文化人類学は、いわゆる第三世界や、国内の少数民族の文化社会を長期フィールド調査することを、その本領としてきた。かつては構造主義や記号論との関わりで語られることも多かったが、現在、科学技術の問題は、対岸の火事ではなく、すでにわれわれの研究プログラムの重要な一部となっている。

気候変動やインターネットといった事例に加え、生命科学もまた、グローバルな文化・経済・社会と切っても切れない関係にある。そのあり方を探ろうというのが、このワークショップの目的である。当然その論点は多様であり、シンガポールの生命科学政策自体の一連の分析を皮切りに、インドや東南アジアの科学政策、中国のバイオバンク、DIY生物学の世界的な展開等々、その論点は多岐に及ぶ。なかには、シンガポールの資本主義の現状を、はやりのAgambenで切る、みたいな安易な議論もあり、西洋の特定の流行思想を、気楽にアジアに適用する問題点も見て取れる。

筆者自身の発表は、ラボの研究活動(とくに研究所レベル)と科学政策の同時並行的なつくられ方を、生命科学のいくつかの分野に注目し、分析するもので、ケミカル・バイオロジーや構造生物学といった分野に焦点をあてている。現代の文化人類学は、アジア・アフリカへの関心に加え、病院や企業のような、様々な活動現場についても研究の蓄積とノウハウがある。とはいえ、科学的実践と、政策過程の絡みを調べるとなると、科学と政治の両方の知識が必要となり、もと官僚の話を聞いたり、タンパク質解析装置の講習を受けたりするので、かなり疲れる。だがそこが歴史学者との違いでもある(とGregに言われた)。

ともあれ、沸騰都市シンガポールの夏は、いつもどおり暑い。そして、科学、社会、アジアというつながりは、それ以上に「ホット」である。

(超域文化科学専攻/文化人類学)

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