HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報558号(2013年7月 3日)

教養学部報

第558号 外部公開

ヒッグス粒子発見の向こうに

浅井祥仁・菊川芳夫

2012年7月4日のあの熱気に満ちた会見をご記憶の方も多いと思われる。その後、さらに2.5倍以上のデータの解析が進み、2013年3月14日には、それまでの「ヒッグス粒子と考えられる新粒子(A Higgs-like boson)の発見」という表現を改め「ヒッグス粒子(A Higgs boson)の発見」が宣言された。このヒッグス粒子発見は、素粒子研究者のみならず、一般のメディアでも大きくとりあげられ、「標準理論最後の未発見粒子の発見! これにて一件落着」という感じでとらえられているが、とんでもない間違いである。一件落着どころか、新しい時代の幕あけを意味している。

素粒子の標準理論によれば、物質を形作る素粒子はスピン1/2のフェルミ粒子に、力を伝える素粒子はスピン1のボーズ粒子に、それぞれ大きく分類できることが知られている(図1) 。

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  図1:素粒子の分類と役割を示す模式図

ところが、今回発見されたヒッグス粒子はこの二つの分類に属さないスピン0のボーズ粒子であることがほぼ確認された。スピン0のボーズ粒子は静止した時に特定の方向を指向することがなく、また、量子力学的な効果によって凝縮しやすい性質をもつ。この実験結果は、真空を構成するものとして宇宙全体に一様に広がっており、その中を運動する素粒子に質量をあたえているというヒッグス場の性質を強く支持している。

物理学は実証学問である。宇宙全体に一様に満ちている妙なモノをどうやって探したのか? 相手は「真空」に潜んでいる場であり、弱い力(ニュートリノの感じる力)しか感じない。どうやって検証したのか? これには質量の起源となるヒッグス場の性質を逆に利用する。ヒッグス場はより大きな質量をもつ素粒子により強く結合する。これまでに発見されている素粒子の中で最も大きな質量を持つトップクォークを高エネルギーで生成して、これを用いれば、真空中のヒッグス場をかき乱し、揺らぎを引き起こして、ヒッグス粒子をたたき出せる(図2)558-B-4-1-02.jpg

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  図2:グルーオン融合によるトップクォーク対とヒッグス粒子の生成

 

トップクォークは、陽子-陽子の衝突によってグルーオンを融合させて生成することができる。こうして、円周27kmの巨大加速器(LHC)が作られ、宇宙誕生直後10-12秒、温度にして一京度の状態になるような膨大なエネルギーを真空に与え、ついにヒッグス粒子を発見することが出来た(図3)。

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  図3:ヒッグス粒子が2つの光子に崩壊する事象による探索結果

相手はニュートリノのように弱い力しか感じないので、陽子同士を二千兆回も衝突させての偉業である。

ヒッグス粒子の発見は何の幕あけか? これまで見つかっていた素粒子の性質の背後には、必ず、対称性原理があった。少し難しいが、力を伝えるスピン1のボーズ粒子にはゲージ対称性があり、物質を形作るスピン1/2のフェルミ粒子にはカイラル対称性があって、このため、これらの素粒子は元々質量がゼロであり、対称性が自発的に破れることではじめて有限の質量を獲得する。ところがヒッグス粒子は全く新しいカテゴリーに属していて、元々有限の質量をもつ事ができる。

なぜ、ヒッグス粒子の質量がプランクスケール(注1)に比べて極めて小さいのか、その背後に対称性原理があるのか、標準理論はその答えを与えてくれていないのだ! だからヒッグス粒子発見はメデタシメデタシ(もちろん嬉しいですが)なのでなく、この背後の原理を探す新しい時代の始まりを意味するものなのである。

この原理の一つの可能性が「超対称性」である。超対称性のすばらしい点は、ヒッグス粒子が質量126GeVと軽いことを自然に理解させてくれるのみならず、やはり標準理論がその答えを与えてくれていない「暗黒物質」も準備してくれる点にある。

もちろん、物理学は実証されてナンボである。これが本当なのかを探る研究がLHCの次のターゲットであり、実験の次のステージは二年後に始まる。ヒッグスの向こうにあるものを目指して研究の軸足が大きく動いた。

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(理学系研究科物理学・浅井祥仁)







(ATLAS実験提供)
ATLAS ホームページ  http://atlas.ch/ も参照のこと

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