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教養学部報

第559号 外部公開

〈時に沿って〉変化

今井直毅

本年四月に大学院数理科学研究科に着任いたしました。2010年9月に同研究科で学位を取った後、こちらに赴任するまでの二年半は、京都大学の数理解析研究所に勤務していました。4月から授業を持っているのですが、大学で授業をするのは初めてで、また、学生のころはちゃんと授業に出ていなかったので、どのようにすればいいかわからず四苦八苦しています。教養学部報も、学生の時は一度も読んだことがなかったので、どのように書けばいいかわからず困っています。

先日、夏学期の期末試験を行ったのですが、その出来具合は凄まじいものでした。僕の授業のやり方にも問題があったのかもしれませんが、「最近の学生は……」とおっしゃる先生方の気持ちが、少しわかったような気がしました。僕自身は、自分より昔の学生のレベルはもちろん、自分が学生の時の平均レベルも知らないので、何とも言えませんが。ただ、一学年の人口が減ってきている以上、その上澄み一定数の平均レベルが下がってくるのは、ある意味自然な流れかなとは思っています。水準を維持する、あるいは上げていくためには、やり方を変えていく必要があると思いますが、どのようにするべきかは、これから考えていきたいと思います。

上の世代の先生方と話していて感じることの一つに、論文が入ってる雑誌の年代や号数をよく覚えている、ということがあります。僕自身は、昔から記憶力が非常に悪く、論文のタイトルすら、ろくに覚えられないので、感心してしまいます。最近は、インターネット上で論文のタイトルの一部を検索すれば、すぐに論文が見つかりますが、昔はそういうわけにもいかなかったので、何度も図書館で文献を調べるうちに自然と覚えられたのだと思います。必要なくなった能力が退化するのは、ある意味、進化なのかもしれませんが、代わりに何ができるようになっているのでしょうか? 情報の検索技術は上がっている気がしますが、それだけだと、なんだか情けない気もします。

僕は、インターネットがある程度普及してから大学に入った世代ですが、その後の変化として、タブレット端末の普及があると思います。タブレット端末はとても便利です。論文の内容を忘れてしまっても、いつでもどこでも、すぐに調べることができます。一方で、上の世代の先生方は、そのように、論文をいつでもどこでもすぐに参照するということはできなかったので、しっかり頭に叩き込む努力をしていたはずです。しかし、いつでも参照できると思うと、そうした努力を怠ってしまう気がします。これは進化でしょうか? 人間は忘れる生き物ですし、僕は人一倍忘れやすいので、これからも使えるものは使っていくでしょう。でも、本当に使える技術や知識というのは、しっかりと自分の身に染みついたものだけだ、ということは、常に忘れないようにしたいと思います。

(数理)
 

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