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第560号 外部公開

〈本の棚〉橋本毅彦著 『近代発明家列伝――世界をつないだ九つの技術』

後藤春美

560-C-4-2.gif地球規模で一体化した今日の世界は、様々な技術の発展によって作り出された。本書は、そのような今日の世界の基礎となった九つの科学技術を、発明家の人生の実像に迫りつつ紹介する。日ごろ科学とは縁遠い者にも楽しく読める書物である。

本書が取り上げる最初の三人は、一八世紀から一九世紀にかけて時間、動力、空間に関わる技術を生み出したイギリス人である。次の三人(エジソン、ベル、デフォレスト)は、一九世紀後半から二〇世紀にかけてアメリカで活躍し、音声や通信の技術に革命をもたらした。最後の三人(正確には四人、すなわちドイツのベンツ、アメリカのライト兄弟、ドイツからアメリカに移住したフォン・ブラウン)がもたらした交通技術は、現代人の活動範囲を飛躍的に拡大させた。

イギリス人が最初に固まっているのは、国力の盛衰とも関わっているのであろう。評者はイギリス研究の末席に連なっているので、最初の三章をもう少し紹介させていただくこととしよう。

第一章は、経度測定に必須な世界航海用の時計を発明したハリソンを取り上げる。駒場一年生の皆さんはほぼ全員、経度の測定がいかに困難であったか、そして測定を可能にしたのが彼の発明であったことを良く知っているであろう。そう、夏学期の教養英語でホイヘンス、ニュートンと並んで取り上げられたあのハリソンがまず登場するのである。海上で大波に揺られても彼の時計がどうして正確に時を刻むことができたのか、改良の実際、賞金をめぐる顛末については、この章を読めば目に浮かぶように良くわかる。また、今日ケンブリッジの街を歩くと大きなバッタが時を刻む時計(コーパス・クロック)を目にするが、それはハリソンのアイデア「バッタ式脱進機」に基づくものなのである。

第二章で取り上げられるのは、知らぬ者なきワットである。と言ってもワットは蒸気機関の発明者ではなく、改良者、普及者であったという。ハリソンと同様ワットも、学者ではなく職人として出発した。蒸気機関との出会いも、すでに存在していた機関の、それも模型の修理を依頼されたためであった。そもそも蒸気機関が必要とされたのも、鉱山を掘り進める際に湧き出る地下水排水のためだったという。その地味な出発点には驚かされる。

一方、ワットが蒸気機関の改良を重ねていく過程は非常にイギリスらしい特徴を持っている。第一に、彼がひらめきを得たのは、河畔の公園まで散歩に出かけた時であったという。イギリスの学者たちは現在でもよく散歩をする。椅子に座りっぱなしでは体にも頭脳にも良くないことを知っているのであろう。第二に、ワットの協力者ボールトンはバーミンガムで「月光協会」なる情報・意見交換会の創設に関わったという。イギリスでは、このような自発的、自由な会合が一八世紀後半以降多く現れた。その活動も週末ではなく、往々にして平日の晩であったようである。

第三章のブルネルは、イギリスでは有名な技術者であり、鉄道建設や蒸気船の建造に活躍した。今日でもイギリスに旅すれば彼の足跡に多く出会う。まず、空港からヒースロー・エクスプレスという鉄道でロンドン中心に向かった場合到着する駅はパディントンだが、この駅舎はブルネルが設計した。屋根はアーチ状の鉄骨で支えられ、ガラス板の天井から光が降り注ぐ。パディントン駅からイギリス西部に向かうグレート・ウェスタン鉄道もブルネルが手がけた。

バースというローマ時代の温泉を起源とする美しい保養地を過ぎたあたりのボックスヒル・トンネルが最も難工事だったとのことである。バースから西に約二〇キロのところにはブリストルという港町。町の中心からバスで約二〇分、ブリストル大学を過ぎると、砂糖(奴隷)貿易で蓄えられた富の名残を感じさせるクリフトン地区に至る。セヴァーン川の渓谷はイギリスの中でもドラマチックな風景の一つであるが、そこを横切りクリフトンと対岸を結ぶ吊り橋もブルネルの設計である。

技術という切り口から歴史を眺めると、文書史料や言説の分析などとはまた違った情景が見えてくることに気付かされ、興味は尽きない。本書を、文系・理系を問わず多くの方が手にし、時空の旅を楽しまれることを望んでやまない。〈岩波新書、七二〇円+税〉

(国際社会科学専攻/英語)
 

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