HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報564号(2014年4月 2日)

教養学部報

第564号 外部公開

これからの言葉~グローバル時代の言語は多言語だ

トム・ガリー(Tom Gally)

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昨年の暮、週末の夕方に大森駅で桜木町行きの京浜東北線に乗った。電車が空いていたので、立っている人がいなく、向こうの席に座っている四人家族を観察できた。母親と父親、そして小学校低学年らしい男女。子どもたちが持っていたバッグからすると、浜松町のポケモンセンターから帰宅途中だったようだ。

内容は聞き取れなかったが、母親と父親が話していた言語は日本語だった。しばらくすると、ゲーム機に夢中だった子どもたちは、お互いに中国語でしゃべり始めた。そして母親は子どもたちに中国語で話しかけた。私はそれで、母親は中国人、父親は日本人だろうと初めて気がついた。数分後、車内放送で次の駅がアナウンスされたときに、中国語で話していた姉は弟に「川崎だ。降りましょうよ」と日本語で言った。

ごく短い観察だったが、その家族の言語使用状況をだいたい把握できたと思う。すなわち、父親はおそらく日本語しかしゃべらないが、他の三人は日本語と中国語のバイリンガルだ。そして、子どもたちはたぶん母親や母方の親戚とは中国語を、学校や近所の友達などとは日本語を使う。姉弟同士の会話は両方の言語で行う。

両親、親戚、兄弟、友達、学校の先生、地域の人々など、普段交流のある人全員が同じ言語しか使わないという環境で育てられた人にとっては、その電車の家族は奇妙に見えるかも知れない。自分が日常的に二つの言語を使うことも想像しにくい。しかし、世界的に見ると、多言語使用という現象は昔からよくあったし、国境を超える移動がますます増える現在はさらに普通になりつつある。単一言語国家とみなされてきた日本でもバイリンガルな家族、マルチリンガルな職場はもう珍しくない。これからも複数の言語を使う機会が増加するだろう。新入生の皆さんには日本語以外の言葉をあまり使ったことがない人が多いと思うが、東京大学への入学は自分にとっての「これからの言葉」を考える好機だ。

「日本語以外の言葉」と言われるとまず英語が思い浮かぶ新入生が多いと思う。遅くても中学校一年から英語を学んでいるし、入試受験のために英語を猛烈に勉強した。入学後も教養英語、ALESAまたはALESSなど、英語の授業を引き続き取ることになる。「なぜほぼ全員が英語をやらなければならないのか」と聞かれたら、たぶん私も、東大生なら今まで何百回も親や学校の先生から聞いた「英語はもっとも使われている国際語だ」「英語は仕事に必要だ」「英語ができないと将来は不安だ」という答えをすると思う。私がそれを言うのは、英語教師という自分の職業を正当化したいからではない。実際に、東大生が高度なレベルで英語を使えるようになったらぜったいに有利になると信じているからだ。ただし、今の時代には東大生が自分の言葉を日本語と英語のみに限定するととてももったいないとも思う。

英語は確かに国際語だが、国際語というのは異なった国を出身している人々がお互いにコミュニケーションを取るために使う言語だけだ。今でも、世界の大半の対話は同じ国、同じ言語の話者同士で行う。ブラジルでもロシアでもイランでも、街での出会いから経済活動や政治討論まで、ほとんどのやり取りにはポルトガル語、ロシア語、ペルシア語などを使う。そのため、英語圏以外の国を理解するには、その人々と有効的に交流するには、英語以外の言葉を知らなければならない。また現在は、イギリスや米国など典型的な英語圏でも移民がどんどん増え、英語しかしできない人は不利になっている。この間読んだ記事によると、ニューヨーク市の病院に就職しようとしたアメリカ人の医者は英語しか話せないという理由で採用されなかったそうだ。日本も同じ状況になりつつある。私が診察に通っている東京・表参道にある大手専門病院では患者さん向け通訳サービスの案内が掲示板に貼っている。なお、その案内は英語ではなく中国語と韓国語のみで書かれている。

言葉は人間のあらゆる営みに深く関わっている。一つの言語しかできないと、自分の行動範囲も必然的に狭くなってしまう。その反面、自分ができる言語を一つでも増やすと、学問や仕事から私生活まで、自分の将来が広くなる。もちろん、皆さんが今までの英語学習でわかったように、一つの外国語をマスターするのは簡単ではない。何年も粘り強く勉強し続けなければならない。でも、これからも様々な言葉が日本でも世界でも使い続けられるので、東大への入学、初習外国語の履修をきっかけに自分にとっての「これからの言葉」を真剣に考えていただきたい。

(グローバルコミュニケーション研究センター/言語情報科学専攻/英語)
 

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