HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報565号(2014年5月14日)

教養学部報

第565号 外部公開

駒場キャンパスとカメムシ

石川忠

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ニセカシワトビカスミカメ
なんと駒場キャンパスでカメムシの新種が発見されるとは……。二〇一三年の年末に関係者の間でちょっとした盛り上がりをみせた話題である。なにせ都心の、しかも大学キャンパスでのこの出来事には発見者の私自身が驚かされた。

事の発端は二〇一三年四月にさかのぼる。伊藤元己教授の発案により、駒場キャンパス内に生息する昆虫を調査することになった。私はカメムシ類の分類学的研究が専門のため、もちろんカメムシ類が調査対象である。せっかくの機会なので真摯に取り組むべく、何かしらの新しい知見が得られることを期待して実地調査を開始した。

調査を始めて一ヶ月も経つ頃にはその時期に出現するカメムシ類があらかた揃ってきた。まずは順調な滑り出しと言える。他の都市緑地で得られているカメムシとの共通種も多い。とは言え、カメムシに限らず、昆虫の調査では採集と同時に正体が判明する種もあれば、研究室に持ち帰り精査した上でようやく同定が確定する種もいる。後者のようなカメムシは、一般的に体が小さく、複数の近似種を含む場合が多い。生息種相の予測が比較的たやすい都市緑地で採集されたカメムシだからといっても侮れず、もちろん個々の個体の同定にあたってはその精度を落とすわけにはいかない。

そんな中、一つ目の驚くべき発見がもたらされた。形態的特徴が互いに酷似するグループに属す種を顕微鏡で精査中、交尾器の解剖・比較を余儀なくされた私は標本を前にして考え込んだ末、この個体はニセカシワトビカスミカメ(写真1)であるという結論に至った。本種は、一九五四年五月に東京都田無市(現在の西東京市)で採集された三個体の標本をもとに、新種として発表されて以来、一度も再確認されていない。その上、雌が知られていないばかりか、寄主植物も未知である。

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エドクロツヤチビカスミカメ
この発見によって、本種が五九年ぶりに確認されたことに加え、雌個体が初めて採集され、さらに寄主植物がコナラであることも判明した。この発見を契機に、他の都市緑地では未発見であったカメムシが続々と得られたばかりか、東京都で初めて生息が認められたり、日本での分布東限を更新したりするものまで見つかった。そうして、継続して調査を行っていた六月も終わりに近づいたころ、ニセカシワトビカスミカメ再確認の出来事を上回る新発見がおとずれた。

話は数日遡った六月一五日のことである。調査開始以来、初めてのお目見えとなるクロツヤチビカスミカメ属のカメムシが、アカメガシワの花序から一個体だけ採集された。このカメムシの仲間は、ニセカシワトビカスミカメが含まれるトビカスミカメ属と同様に、属内の種同士がとてもよく似た形態を呈する。ただし、関東地方には二種しか分布しないため、そのどちらかの種であろうと目星を付けていた。

それでも同定を確実にするためには複数の個体があると信頼性が増すため、その後二日間にわたって計十個体をアカメガシワから追加した。そして、いざ顕微鏡で形態を観察すると、もっとも似た既知種と比べて体が全体的に小さい。さらに、その既知種はヤナギ類やハンノキ類から採集されるため、キャンパスで採集されたクロツヤチビカスミカメとは寄主が異なる。最終的に、追加個体を採集しつつ解剖の実施を含め、あらゆる形態的特徴を国内外の既知種と比較しながら詳細に検討したところ、このクロツヤチビカスミカメは未記載種(新種)であることが明らかになった。なんとも驚きの瞬間であった。

後に、この新種はSejanus komabanusの学名を与えられて、オランダの昆虫学会誌Tijdschrift voor Entomologieの一五六巻(二〇一三年一二月二〇日発刊)に掲載された。なお、和名はエドクロツヤチビカスミカメ(写真2)と命名された。

実はカメムシに限らず昆虫類で新種が見つかることはそれほど珍しいことではない。ただ、新種の発見は、未だ調査が及んでいなかったり不十分であったりする地域や環境、例えば人里離れた山中からもたらされることが多い。もしくは、新種であることは研究者の間では知られているが、それゆえに長らく発表されるに至っていない場合もままある。しかし、今回見つかった種は、都心の緑地、しかも大学のキャンパスから見いだされ、それ以前にこの種の存在を知る者は誰もいなかったという「純粋な」新発見であることに特段の価値があるだろう。調査開始前に伊藤教授から「ぜひ新種を発見しよう」という本気とも冗談ともつかない激励を頂戴したことをふと思い出す。まさかこれが現実になるとは思いも寄らなかった。

駒場キャンパスにおける昆虫類の調査は現在も進行中である。このような昆虫種の探求は、適切な持続的都市開発や生態系保全をすすめる上で、不可欠なプロセスといえる。なにより、身近な自然を見つめ直し、正しく理解する絶好の機会でもある。今後も、駒場キャンパスをはじめとする都市緑地の生物を見守っていきたい。

(元広域システム科学系)

 

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