HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報566号(2014年6月 4日)

教養学部報

第566号 外部公開

バクテリアの生と死を見つめて

若本祐一

京都市左京区にある曼殊院門跡には、一部のマニアックな生物学者が訪れる「菌塚」と呼ばれる塚がある。文字通り細菌(バクテリア)の霊を弔うために建立されたものである。冒頭の碑文は、菌塚の背面に刻まれている。日々の研究で大量の細菌を利用し、そして殺している生物学者が、ここを訪れる理由が端的に述べられている。

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京都市曼殊院門跡にある菌塚  (2004年10月撮影)
人類生存に大きく貢献し 犠牲となれる
無数億個の菌の霊に対し 至心恭敬して
ここに供養のまことを捧ぐるものなり

曼殊院門跡 第四十世 大僧正 圓道 筆

現代の生物学やバイオテクノロジーは細菌に支えられていると言っても過言ではない。確かに長年細菌を研究の対象としてきて、その魅力に取り付かれている者の身びいきは多少入っているかもしれない。しかし、例えばヒトの細胞を対象とした研究であっても、遺伝子をいじったり増やしたりする一連の実験の中では、大腸菌を使う場面に必ず遭遇する。発酵や製薬でも、細菌を利用し、改造して、望みの薬品や機能性物質を作らせている。
 そもそも我々人間も大量の細菌と共生しており、その恩恵に与っている。我々の体には、腸内は当然として、体表面や口内、鼻孔、耳孔など、細菌が遍在しており、それらは我々の生理機能に影響を与えている。ある試算によれば、ヒト一個体に含まれる細菌の数は、ヒト一個体を構成する全細胞の数よりも十倍程度も多いらしい(とはいえ、細菌は非常に小さいので、占める体積は小さい)。

そうなってくると、我々が自己と思っているものが、ヒトのものなのか細菌のものなのか分からなくなってくる。さらに最近の研究では、へその穴は、皆それほど真剣に洗わないし、比較的外界から隔離されているがために、各人の穴の中で独自の生態系が進化し、新種の細菌が大量に見つかるらしい。各人めいめい、そのへその穴の中に小宇宙を抱えているのだ。

いかん、話が少々下品になってきたので戻そう。

私は十年ほど前に、冒頭の菌塚を訪ねたことがある。彼の地を訪ねる多くの生物学者と同様、私も自分の研究で犠牲になった細菌に思いを馳せつつ、その塚の前で手を合わせた記憶がある。ただそのとき、私の頭の中に浮かんだ細菌の往生のイメージは、他の多くの訪問者とは少々異なっていたのではないかと思う。というのも、私は当時から「一細胞計測」という計測技術の開発に取り組んでおり、細菌ひとつひとつが死ぬ瞬間を目の当たりにしてきたからだ。

通常生物研究で細菌を扱う場合、ひとつひとつを相手にすることはほとんどなく、フラスコや試験管で培養された大量の細菌集団を相手にする。そのような研究では、一個一個の細菌の個性は無視され、集団の平均的振る舞いのみが考察の対象となる。したがって、日々の研究で抗生物質などの強い毒を細菌に与え、大量に殺してきた生物学者であっても、その集団の中で、細菌がどのように死んでいるのか、その現場を具体的にイメージできる人は、それほど多くのないのではないかと思う。

細菌にも個性がある。しかもそのような個性のなかには、遺伝情報に依らないものも多い。言い換えると、同じDNA配列を染色体上にもつ細菌同士を同じ環境に置いたとしても、その振る舞いや性質に差が生じうる。このような個性のことを「非遺伝的個性(Non-genetic individuality)」と言ったりするが、これは一細胞レベルの観察をすれば、あらゆる場面で遭遇する。

非遺伝的個性の重要性が特に強く意識されるのは、対象となる細菌の生存が脅かされる場面である。例えば、同じ遺伝情報をもつ細菌集団(「クローン」と呼ぶ)に抗生物質を与えると、すぐに死ぬものと、長い間生き続けるものが観察される。生き残った細菌は、抗生物質がなくなると、再び子孫を増やし、種をつなぐ。生き残る細菌は、元の集団の中では、アウトサイダーであるにちがいないが、そのようなアウトサイダーを生み出すことが集団としての生存に有利であることは、教訓的である。

結果的に死んでしまう細胞間でも、その振る舞いは多様である。ストレスをじっと静かに耐え、できるだけ生き長らえようとする輩もいれば、積極的に成長し、何とか子孫を増やそうとするものもいる。さらには、生きているのか死んでいるのかよく分からない細菌に出くわすこともある。つまり、成長も分裂もせず、環境が良くなっても増殖しないのだが、細胞膜の健全性などは保たれ、様々な観点から「生きている」と判断せざるをえないものだ。このような菌に出くわすと、たとえ細胞であっても、その生死判定は難しいことが理解できる。そもそも、物質としての構成にはほとんど差がない、生きている細胞の状態と死んでいる細胞の状態の差をどのように特徴付ければよいのか? これは、生物学の究極の問いであろう。

菌塚の前で手を合わせる私がイメージしたのは、多彩な死に様を見せてくれた細菌達であり、それらは自分の今の研究の礎となっている。

「菌塚」の題字は、本学名誉教授であり、応用微生物研究所(現分子細胞生物学研究所)の初代所長である坂口謹一郎先生の筆による。歌人としても知られた先生は、菌塚の建立に際し短歌も詠まれている。

  これのよに ゆかしきものは この君の
  四恩のほかの 菌恩のおしえ

私も菌恩を胸に刻み、研究に励んでいきたいと思う次第である。

冒頭の碑文の読みに関して、国文・漢文学部会の講師で、山口県岩国市藤河小学校の同級生、田村隆氏に助言をいただいた。感謝致します。

(相関基礎科学系/複雑系生命システム研究センター)

 

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