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最終更新日:2018.07.09

教養学部報

第566号 外部公開

安西信一さんを悼む

山本史郎

566-B-4-3.jpg2月11日、朝起きてメールを開くと、いきなり、「安西信一」という名前、そして「急逝」という語が目に飛び込んできた。この二つの文字はすぐには結びつかず、どんな意味だろうと私はしばらくぼんやりとしていた。

そのひと月ほど前、駒場東大前のホームですれ違った。以前よりも太り、血色のよいまん丸な顔をして、とても幸せそうだった。輝いていた。そのうち酒を飲もうよと言い交わしたのが、最後になった。

安西信一さんは1960年の生まれだ。本郷の文学部で美学を修め(1995年に「イギリス風景式庭園」の研究で博士号を取得)、1991年に広島大学に着任、2002年に駒場の地域文化研究学科のイギリス科に赴任され、2009年に本郷の古巣に戻られた……。

安西さん、駒場に赴任した君とボクは、たちまち肝胆相照らす友となったよね。馴れ初めは2003年の夏、イギリス科の卒論中間発表のために伊豆に学科旅行したときのこと。懇親会のあと君はフルート三昧、深更に及ぶまで学生の酒に付き合っていた。ボクは慣れない主任稼業に疲れはて、早々に沈没。朝、目がさめると、隣のベッドに君が仰臥し、今度は高らかにいびきをかいていた。

2004年からボクは英語部会の主任となったが、君は英語Ⅰ運営班のチーフとして豪腕を振るった。業務を徹底的に効率化し、きちんとしたマニュアルを作ってくれた。今でも英語Iの部屋に行けば、君の有形・無形の痕跡が至るところに残っている。また、ボクが外国語委員長になったとき、君は教務委員として助けてくれたばかりか、外国語委員会の書記をつとめて下さった。

有能な君はどんな仕事でも、常人の及ばぬものすごいスピードで完璧にこなした。何でも安心して任せることのできる人だったが、そんな仕事のことより、二人で酒盃を前にして、ともに飲み、ともに語り合った時間が言いようもなく懐かしい。学問のこと、雑務のこと、同僚のこと、女性のこと、身の処し方、そして人生や心のありようについて深く、深く話した。そう、2008年ごろのことだ。ご母堂のお通夜のあと君に誘われて立川の飲み屋へと流れ、二人だけのお通夜の続編と相なった。

君はフルートの名手。プロのミュージシャンとしてライヴハウスで度々演奏した。聞くたびに、そのすごさに圧倒された。フルートばかりではない。学問、学会の仕事、モモクロのおっかけ、地域の奉仕活動、そして飲酒。君は何をやっても抜群にできてしまう人だった。万事大らか、すべてが豪快だった。君には、「安西信一」でいることが楽しすぎたのだ。そして、その喜びを人に分けてあげたくてしかたなかったのだ。

お別れのときに顔を見た。死んだなんて信じられない。信じたくない。そんなところに寝てないで、早く起きてこいよと言いたくなった。だけど、もうそんな冗談も言えないのだと思ったとたん、涙があふれた。

安西信一、2月11日、くも膜下出血にて永眠。享年五三才。別れがこんなに悲しいとは。

(言語情報科学専攻/英語)

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