HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報571号(2015年1月14日)

教養学部報

第571号 外部公開

脳に描かれる地図:ノーベル生理学・医学賞二〇一四年

酒井邦嘉

私の弱点の一つは「方向音痴」である。苦手な場所はデパ地下や駅の地下道だ。GPSなる文明の利器を使っても不安は解消されず、方向感覚ばかりか特定の場所の記憶も心許ない。脳科学を専門としようとも、この弱点は克服できなかった。

昨年のノーベル生理学・医学賞は、久しぶりに脳科学が対象となった。今回は、「場所細胞とグリッド細胞の発見」が評価され、外界の地図(例えば左図)をどのように脳に描くかを調べた研究に光が当てられた。

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私が大学院で視覚記憶に関する電気生理学の研究をしていた頃、ジョン・オキーフ(John M. O’Keefe ニューヨークで生まれロンドンに定住)が七〇年代に発見した場所細胞の存在は既成事実となっていた。「場所細胞」とは、個体がある特定の場所(例えば部屋の一箇所)にいるときに反応する細胞のことで、ネズミの「海馬(かいば)」という脳の場所で多数見つかっている。海馬は人間にもあり、新しい記憶を定着させるのに必要な「装置」である。

その後しばらくして、オキーフの弟子であるモーザー夫妻(May-Britt Mo-ser & Edvard I. Moser共にノルウェー生まれ)は、海馬に入力を送っている「嗅内皮質」に注目して場所細胞を探していたところ、単独で複数の場所に反応する細胞を見出した(<I>Science</I> 305, 1258-64)。しかもモーザー夫妻は、そうした複数の場所同士に関連があることを見逃さなかった。そこで、ネズミが走り回る範囲を十分広げてみたのである。すると驚くべきことに、一つの細胞が反応する複数の場所は規則的に並んでおり、三角格子(グリッド)の格子点に一致することが明らかとなった(右図)。これが「グリッド細胞」の発見であり、二〇〇五年のことだった(<I>Nature</I> 436, 801-6)。

くにある別のグリッド細胞は、格子の間隔が一定のままで、格子点に対応する場所が少しずれており、離れたところのまた別のグリッド細胞は、格子の間隔自体が異なる。しかも、外界の目印を回転させると三角格子も追随して回り、暗くしてもグリッド細胞の反応が保たれるというから面白い。つまり、グリッド細胞が描く地図は、個体の身体に固定されたものではなく、外界の目印を元にして決められているのだ。
そうしてグリッド細胞の発見から九年後にノーベル賞授賞となったわけだが、DNAの二重らせん構造の発見(一九五三年)に対する授賞は一九六二年だったから、同じ頃合いである。しかし、場所細胞の発見から数えれば四〇年を越すわけで、息の長い話でもある。もしグリッド細胞の発見がなかったらオキーフの受賞もなかっただろうが、逆に場所細胞がなければグリッド細胞の発見もなかったわけだから、彼らの仕事は等しく評価され得る。

以上のようなオキーフ流の成功譚から得られる教訓は、①発展性のあるテーマを自ら始め、②ごく少数でいいから優れた弟子を持ち、③できるだけ長生きして発展を見守る、ということだろう。モーザー夫妻から得られる教訓は、①流行と関係なく発展性のあるテーマを選び、②優れた先達の薫陶を受け、③決して途中で投げ出さない、ということに尽きる。
また、「グリッド細胞」と「二重らせん構造」の間には、科学という観点から深い類似性があると私は考えているが、それは次の理由からである。

① 生物の根本にある物理的な法則性
② 規則性(対称性)という自然界の美
③ 複雑な現象を支える単純な原理

百億を超す細胞からできている複雑極まりない脳に、グリッド細胞という美しい規則性が隠されていたとは、全く想像もつかないことであった。その深遠さは、物理を専攻する者を生物学に向かわせ、さらに脳科学へと導くような力があると思う。
脳科学の歴史を遡って、上の理由でグリッド細胞の発見に比肩しうるインパクトの研究を探すと、一九八一年にノーベル生理学・医学賞が授与された、ロジャー・スペリーによる大脳半球の研究(右脳と左脳の機能分化)や、ヒューベルとウィーゼルによる大脳視覚野の研究がある。あるいは一九六三年に同賞が授与された、ホジキンとハクスリーによる神経伝達の解明にまで遡る必要があるかもしれない。
実際、私の先生の世代はホジキンとハクスリーの仕事に感化されていたし、私自身はスペリーの卓見に魅せられて進路を変えた経験がある。そして、今回のオキーフとモーザー夫妻の研究に刺激を受けた人達が、脳科学をさらに発展させていくことになるだろう。
その後、場所細胞はコウモリや人間でも見つかり、さらにグリッド細胞が人間でも確認されている(二〇一三年)。特に暗闇で素早く動き回るような動物には、方向と場所の感覚は死活問題だから、優れた空間把握の能力が役立つことだろう。そうした探索行動が高等動物に備わる本能ならば、基本原理は人間でも同じということになる。それならば私もあきらめずに、道に迷わないようにもう少し努力しようと思う。

(相関基礎科学系/物理)

 

 

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