HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報571号(2015年1月14日)

教養学部報

第571号 外部公開

2014年ノーベル化学賞:超解像蛍光顕微鏡 Super-resolution fluorescence microscopy

佐藤守俊

自然科学(物理、化学、生理学・医学)のノーベル賞の歴史をひも解いてみると、観察技術や測定技術の開発に関する受賞が多いことに気づく。それもそのはず、自然科学はそもそも観察と測定に基づいている。誰も測れなかったものが測れるようになれば、分からなかったことが分かるようになる。自然科学において、新技術の開発が大きな影響力をもつ所以である。二〇一四年のノーベル化学賞は、光学顕微鏡の性能を劇的に向上させた三人の研究者が受賞した。見えなかったものが、見えるようになったのだ。

光学顕微鏡の最も重要な性能は解像度である。ドイツの物理学者エルンスト・アッベは一八七三年、光の回折のため光学顕微鏡の解像度に限界があることを理論的に示した(回折限界)。光学顕微鏡で用いる可視光の波長は四〇〇〜七〇〇ナノメートル。回折限界は波長の半分程度なので、いくら改造しても、光学顕微鏡の解像度は二〇〇ナノメートル程度が限界だった。ちなみに髪の毛の太さはおよそ一〇〇マイクロメートル。光学顕微鏡の解像度は髪の毛の太さの五百分の一ということになる。十分ではないかと一瞬思ってしまった読者もいるかもしれないが、生命現象を司る役者たち(タンパク質)の大きさを知って欲しい。

生命の最小単位の細胞は数十マイクロメートル。細胞内の小器官、例えば核やミトコンドリアは数マイクロメートル。しかし、そこではたらく様々なタンパク質は数ナノメートルである。細胞を日本政治の中心・永田町としよう。細胞内小器官に相当する国会議事堂や総理大臣官邸、二大政党の本部などは光学顕微鏡で見分けることができる。しかし、その解像度では、一人一人の行動(タンパク質のはたらき)までは見えない。彼らは“小さ過ぎる”のだ。これでは永田町の本質を理解したとは言えない。実際の細胞の場合も問題は同じである。タンパク質が細胞の中で生命を紡ぎ出す現場を見たい。そんな研究者たちの夢の前に百年以上立ちはだかったのがアッベの回折限界(一八七三年、日本で言えば明治六年、西郷隆盛が外交政策論に破れて下野した年)だったのだ。

しかし、とうとう解像度の常識が覆る時が来た。ただし、光学顕微鏡そのものを睨んでいるだけでは、この難題に対する答えは得られなかった。答えは、なんとサンプル側にあったのだ。細胞の中のタンパク質を観察する場合、蛍光分子を付けて観察するのが一般的である。この蛍光分子を巧妙に制御するという化学的なアイディアが、ブレイクスルーに繋がったのだ。

二〇一四年のノーベル化学賞に輝いたシュテファン・ヘルは、アインシュタインが見出した誘導放出を利用して蛍光分子を制御することを思い付いた。共焦点顕微鏡と呼ばれる従来の光学顕微鏡は、レーザービームで視野全体を隈なく走査して蛍光画像を取得する(図1左)。しかし、回折限界(二〇〇ナノメートル)以下にレーザービームを絞り込むことはできない。この“太い”レーザービームだと、多くの蛍光分子を同時に発光させてしまうので、高い解像度は望めなかったのだ。ヘルは二種類のレーザーを用いてこの難題を解決した(二〇〇〇年)(図1右)。

レーザーの一つは蛍光分子を励起する従来のもの。二つ目は励起された蛍光分子を誘導放出で基底状態に戻す長波長のSTEDレーザー。重要なのはSTEDレーザーのビームの形状を筒状にすることだ。両方の光で照射される筒の部分の蛍光分子は、誘導放出によりSTEDレーザーと同じ長波長の光を放出する。一方、筒の中空領域の蛍光分子はSTEDレーザーの影響を受けず、自然放出に由来する幅広いスペクトルの蛍光を放出する。フィルターで長波長光をカットすれば、中空領域にあるごく少数の蛍光分子のみを観察できるので、解像度を劇的に向上できる。なお、筒の中空領域はSTEDレーザーの強度を上げるほど小さくできる。つまり、ヘルの光学顕微鏡(STED顕微鏡)の解像度には、原理的には限界が無いのだ。

ヘルとは全く異なるアプローチで回折限界に挑戦したのが二人目の受賞者、エリック・ベツィグだ。蛍光分子から放出された光は回折を起こすので、レンズで観察すると広がって見える。つまり、蛍光分子は実際のサイズよりも随分大きい輝点として見えてしまうのだ(波長によるが、GFPの場合、百倍程度)。従来の光学顕微鏡での観察のように、視野のすべての蛍光分子が同時に発光すると、蛍光分子の輝点が重なってしまい、解像度の低い画像しか得られない。ベツィグは、細胞内の蛍光分子を同時ではなく、まばらに発光させることにより難題を解決したのだ(図2)。

蛍光分子の輝点をまばらにできれば、それぞれの輝点(一分子に相当)を点広がり関数にフィッティングして、その中心座標を正確に求めることができる。まばらな輝点の撮影とフィッティングを数千回程度、繰り返し行い、求めた中心座標をすべてプロットすることにより画像を構築する。ベツィグの光学顕微鏡(PALM)で撮影した画像を筆者が初めて見たとき、驚きと感動でからだが震えたのを覚えている。一つ一つの分子を映し出す、冗談のように解像度が高い圧倒的な画像。今までのどんな画像にも似ていなかった。
ベツィグは一九九五年にPALMにつながるアイディアを論文として報告している。しかし、実際にPALMが実現したのは二〇〇六年だった。PALMの実現に時間を要した理由は、まばらな発光を実現できる蛍光分子が当時存在しなかったためだ。この問題を解決したのが、発光のオンとオフを制御できる光活性化型の蛍光タンパク質である。この風変わりな蛍光タンパク質を世界で初めて発見したのが三人目の受賞者、ウィリアム・モーナーだった。彼は一分子の観察技術の開拓者としても知られる。モーナーのこの二つの業績がベツィグの一九九五年のアイディアの実現につながり、PALMが生まれたのだ。

ノーベル財団のホームページを見てみよう。第一回からのすべての受賞者の受賞講演にアクセスできる。ヘル、ベツィグ、モーナーの三人が、アルフレッド・ノーベルの命日、一二月一〇日に何を語るのか。そして、自然科学のレジェンドたちが何を語ってきたのか。みなさん自身で直接、確かめてはどうだろう。

(広域システム科学系/化学)

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