HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報572号(2015年2月 4日)

教養学部報

第572号 外部公開

織田孝幸先生をおくる言葉

斎藤毅

期待にたがわず、数学者には奇人変人にこと欠かない。数学といえばつめこみという大方の先入観にはそぐわず、研究者としての数学者には、既成観念からはずれた独創的な発想が勝負である。奇人変人にこと欠かないのは、そんなところから来ているのかもしれない。

織田先生はその中でも特異な位置を占めていると日頃から思っているのだが、ご本人はもしかするとご自身を常識人とお考えなのではとも感じられる。なので、ご本人もお読みになるに違いないこの場であえて例をあげて証明するのははばかられる。苦笑して読み過ごしていただけるとありがたい。

織田先生とのはじめての接点は、一九八九年にアメリカ・ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学に長期滞在したときのことだったと思う。当時、わたしは英語もろくにしゃべれず、外国経験も豊富な織田先生が一緒にいてくださったのはたいへん心強かった。織田先生ご夫妻は小さなお子さんを三人つれての外国暮らしでご苦労も多かったことと今では思うが、そんなことに気がつく余裕はなかった。

数学者には、この人の頭のなかはどんなふうになっているのだろうと思わずため息がでてしまうような人がいる。織田先生ももちろんその一人である。織田先生は整数論のなかでも保型形式とよばれる分野の世界的な研究者ということをそのときも知ってはいたが、そのころ世界的に活発に研究が始まった、代数曲線の基本群へのガロワ群の作用についての深い研究をなさっていて、この人は何でもわかってしまうのだなあと思った記憶がある。一流の数学者にはそれだけの視野の広さが必要なのだと、駆け出しの研究者だったわたしはそう思ったものだった。

わたしが東京に帰ってから、織田先生も京都大学数理解析研究所から東大に戻ってこられたのだと思う。それからは研究者のあるべき姿を、あるときはことばで、あるときは背中で教えていただいた。よくご一緒したのは、よそからの研究者も来られる整数論のセミナーである。せっかく講演にきていただいたからと必死に質問をひねりだしていると、悠々と講演をお聞きになっていた織田先生は、思いもよらない核心を突く問いを不意になされる。ボルチモアでの経験ぐらいでは、ため息をつくにはまだ早かったのである。

織田先生の博識と興味の広さは、コモンルームでのお茶の時間や、たまにご一緒した飲み会でも遺憾なく発揮された。江戸時代の文化から中国の古典、駒場キャンパスを散歩中に出会ったほかの部会の先生とのディープな会話、もと留学生に招かれたモンゴル事情、応用数学の最近の動向、そしてもちろん現在進行中のご自身の研究などなど、こちらがチンプンカンプンになるのも構わず、いろいろなお話を聞かせていただいた。

ほぼ毎日のように織田先生と顔を合わせていた年月も残りわずかになった。駒場を去られたあとも、今まで以上に自由に活躍されるのは間違いないと思うのだが、これまで長い間ありがとうございました。これからもどうぞお元気で。

(数理)

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