HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報572号(2015年2月 4日)

教養学部報

第572号 外部公開

〈駒芝をあとに〉 脳と生物物理

川戸佳

572-D-6-1.jpg駒場の物理学教室に着任したのは三〇年前になります。専門は生物物理学ですが、当時駒場の生物物理学研究室としては、伊藤研究室(放射線生物物理学)しかありませんでした。それから長い月日が流れ、駒場にはたくさんの生物物理研究室が出来ました。今や大きな流れとなり、学際研究・教育を標榜する駒場によく溶け込んでいると思います。
振り返って思い出に残っていること。

(1)スイスのチューリッヒ理工科大学・生化学科の助手時代、パルスレーザーを当てて人工膜に組み込んだシトクロムP450の回転運動を測定していた頃。地下の実験室から電話をかけて、七階にいる大学院生と講師に「次のサンプルは作り変えないとダメ」「何で? どこかおかしい?」「信号が低すぎる、蛋白が変性してるんじゃないか?」「えーまさか……」毎日楽しかった。

(2)帰国して科学技術振興事業団の最初のERATOプロジェクト「超微粒子プロジェクト」に参加。蛋白質が生物超微粒子であることを認めてもらえました。

(3)駒場に来た当初は、研究活動に苦労しました。今のように大学院生がいっぱい入ってくる制度がなかったので、大変。打開を目指して二〇年前に駒場大学院重点化の大仕事をやりました。徹底した議論と大変な事務作業をやった時です。一緒に苦労を共にした先生方は既にかなり前に退官されてしまい、我々が最後か? その後に後期課程の改革も続いて、状況は随分良くなりました。広域科学専攻の中に生命環境・相関基礎・システムの三系が入っているのは、間違いなく駒場の学際力になっています。

(4)研究は変化して「膜蛋白質の運動と電子伝達相互作用→細胞生物物理学(脳からの指令→Ca信号→ステロイドホルモン合成)→記憶中枢・海馬での神経ステロイドの合成と神経シナプスへの早い作用」となり、近年は大学院の時からやりたかった、脳の記憶研究に没頭しました。「環境ホルモン(疑似女性ホルモン)の脳海馬記憶学習への攪乱」「新型多電極による環境ホルモンの海馬記憶の攪乱研究」「神経シナプスの数理自動解析」という、大型プロジェクトをまかされて、これが力になりました。21世紀COEプログラムなど広域科学専攻のプロジェクトにもお世話になりました。浅島先生のアクチビンも脳が作る性ホルモンで、記憶に効きます。

(5)脳が作る神経ステロイドの中で、力が最も強いものは男性ホルモンと女性ホルモンでした。これが一時間以内で早く作用します。神経のシナプスの数を決めている、しかし老化すると大きく減少し、神経シナプスが減って、記憶力が劣化する、など面白いことがどんどんわかってきています。世界中で一千万人もの多数に対して行われているホルモン補充療法で、認知症の記憶力が結構回復します。並みの認知症の薬よりずっといいですね。男性諸君知っていますか? あなたの海馬(脳)は女性ホルモンのせいで雄の海馬(神経回路)になっているのです。今、あなたは女性ホルモンを使って、男性的な考え方をしているのだと思うと、人生の考え方が変わりませんか? 一方、女性・男性ホルモンが少ないと女性の海馬(神経回路)になるのです。体とは真逆ですね。では、男性ホルモンは何をしているのか? 単なる攻撃性を担っているのではありません。不安になる気持ちを抑える効果があります、うつ症状を予防します。女性の海馬の中の男性ホルモンは何をしているのか? →女性の気性(男性的か)を決めるのではないかという気がしますが?
さて、脳が作る男性ホルモンは、精巣が作る男性ホルモンとどこが違うのか?→これは、四千年の歴史を持つ中国の宦官が、証明しています。史記を書いた司馬遷、紙を発明した蔡倫、大航海を行った鄭和を始め、中華帝国の政治を牛耳った宦官たちから判断すると、脳が作る男性ホルモンは強力な知力を発揮します、子供は作れませんが。

(6)二〇一四年夏に、川戸研卒業生を集めて記念シンポジウムをやりましたが、沢山の発表で盛況で、元気をもらいました。広域専攻と物理専攻の学生がうまく混じってくれて、脳科学研究が進んだと納得できました。
今後は別の大学に移りますが、神経ステロイド研究を広めてゆきたいと思っています。今年シンポジウムに呼ばれたのは臨床系の抗加齢・認知症系の学会ばかりで、臨床医との共同研究も進んでいます。教授諸兄、(通説に反して)正常な老化では神経細胞数は全く減りませんよ、なので記憶力も維持できる⁉ 但しアルツハイマー病のような病気になると神経細胞数が減りますが。

(7)駒場に対する注文を多少。とにかく、進学振分けで学生を獲得する力が弱い。大学院の広報委員長を二〇年もやってきた経験から言いますと、広報力が弱い。学生は、「駒場に後期課程の学科があるとは知らなかった」と毎年のように言う→これは正門の前の大地図で一六号館に「統合自然科学科・大学院広域科学専攻」と書くだけでかなり解決できるはず。この提案は学科会議や大学院会議では了解を得たのに、まだ実行されてないので、誠に残念。教養学部一六号館という名前だけでは、前期課程のビルと思われて、ここに後期課程学科があるとは、わかるわけがない。「総合文化研究科」も「総合文理研究科」にしないといけないですね。学外のInter­netから見ると、駒場には理科系大学院が無いと言われています。大学院重点化を進めていた議論の中では、ともかく文科省の設置審にかからないように、東大の中で駒場の大学院重点化を他の学部に遅れないようにするために、既存の「総合文化研究科」の名前を使用しよう、あとで名前を変えるのは可能だから、とあせったわけです。二〇年もたった今では、文理が共存しているという名前に変更しないとだめでしょう。純文科系の名前をいつまでも続けるのは、理科系にとっては不利。ちなみに、大学院重点化の大騒動の時に、数理科学研究科が全体として本郷から移動して駒場に居を構えた、あの大決断には本当にびっくりしました。数学は三年生の進学振分けまで待っていては、時すでに遅しで、優秀な学生は獲得できない、と深刻な議論をしておられて、若い一、二年生を勧誘する為の大英断だったと思います。

(生命環境科学系/物理)

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