HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報572号(2015年2月 4日)

教養学部報

第572号 外部公開

〈駒場をあとに〉 1968-69年の〈私〉への「未来からの報告」

江里口良治

572-D-8-1.jpgYよ、いま君は大学や社会の大きな変動に直面して、とまどいを感じながらも、一方では高揚感を持って毎日を過ごしているのだと思います。そして、六八年の大学入学以来の一年の間に、これまでに思ったこともなかった幾つかのことに気づき、それらのことを自分の将来の生き方の中で最も大切なものとして実行していければ、と「こころ密かに誓い」ましたね。その君にとって、この「未来からの報告」(註1)が何らかの形で励ましになることを願っています。

振り返ってみると、六八年の一月に佐世保での米原子力空母寄港反対の動きに驚き、四月の安田講堂での入学式の際、総長挨拶の間にも聞こえる講堂の周囲での医学部の学生たちの抗議行動に接し、大学・社会に対して「かすかな違和感」を覚えたのでしたね。その後も、ベトナム戦争や世界各地での反戦運動、「プラハの春」と八月の弾圧、フランスでのスチューデントパワー高揚に端を発する「五月革命」といった世界の激動。そして東京大学では、六月の本郷キャンパンスへの機動隊導入を機に東大全学に拡大した学生の抗議行動がありました。

そうした世界の社会情勢の大変動と世界の大学での様々な問題の噴出を見聞きして、君は、二つのことに気付いたのでした。一つは、「権威や伝統を盲目的に信用してはいけない」、そして「自分の考えることに根拠がある場合、それが少数意見であろうと主張すべきだ」ということでしたね。
君の〈将来〉を生きてきた者として報告しておくと、その君の「決意」は、日常生活のレベルでも、教育者・研究者としての仕事という社会との対応においても、「おおむね」守れたのではないか、と思います(「自己否定的」でなく自己肯定的」な評価で、六八─六九年の東大闘争の基本姿勢と矛盾していますが)。そのため、少数意見ばかり主張して、「反対意見しか言わない非協調的な人物」だという評価がなされますが。

大学終了後は、大学院へ進学し、その後六年ほどの「博士浪人」の後、駒場での研究者・教育者として過ごし、今、定年に至りました。その間、教育者としては、教養学部の文科系学生に「宇宙科学」の講義をしてきましたが、その際、宇宙に関する知識を暗記してもらうことではなく、教養学部の学生としては、後期課程への進学後、そして、大学卒業後に社会に出て仕事をする際に、「初めて出会う課題や問題」にいかにして対応するかの「能力」を養い身につけられるように、「ものごとを理解し、表現する方法」を解説してきました。文科系の学生の多数が理科系科目を学ぶ意義をあまり感じていないので、理科系科目を学ぶことから得られる「論理的思考法」が分かるような講義をしてきたつもりです(註2)。毎学期の講義で課した五回のレポートの内容からは、結構な割合の人が私の方針を理解してくれたと考えています。その際に強調してきたのは、書籍やネットに書かれた事柄を鵜呑みにするのではなく、自分の頭の中で自分なりに再構成し、自分なりに納得することが、知識を「丸のみ」にすることより格段に重要だということでした。これは君が六九年に決意したことを若い世代に伝えるものであったと思っています。

東大の教育体制に関しては、駒場の学生にとって非常に関心のある進学振分け制度には学生諸氏の意思や希望が非常に反映されにくいものだと考え、異端的な進学振分け制度の提案もしました。その案においては、学生諸氏の希望が大きく反映できるものにしたつもりですが、残念ながら多数の賛同は得られなかったようで、実現できませんでした。

こういう点で、君の密かな決意は六九年の一時の感傷ではなく、君の中に根付き、実行されてきたと思います。これで、君にとっての未来の一部を分かってもらえると思います。

六九年以降、世界を含めた社会情勢や学生にとっての教育環境は良い方向に進んできたとは思えません。「良い」という評価は人により立場によって様々なものなので、客観的なものではないのですが、ここでは「日常の生活において〈苦しさを感じない〉、〈疎外感を感じない〉、〈抑圧感を味わない〉、〈絶望しなくてすむ〉」くらいのことを「良い」としての表現です。君の将来の世界が「良いものではない」といいましたが、「全てが良くない」というわけではなく、世界の各地で多数の「小さなグループ」が、それぞれに抱える問題を「自分たちの努力と行動」によって「良い方向に」変えているのも事実です。世界各地で様々なレベルの「良い方向を志向した小さな芽」が育ちつつあります。多数を巻き込んだ大きなうねりには程遠いのですが。
あと一つだけ報告しておきたいのは、六八─六九年の東大闘争を中心的に担ってきた若き大学院生たちは、その後アカデミズムの世界からは遠ざかざるを得なかったのですが、優秀な大学院生たちは、様々な苦労を経て現在の世界に多方面から大きな影響を及ぼしていると思います。たとえば、山本義隆さんや長谷川宏さんはそれぞれ独自の地平を切り開いています。三〇年後、四〇年後に君が山本さんや長谷川さんの本を読む姿を想像すると、君の感動を前もって予測できるような気がします。

長々と書いてきましたが、君の未来には小さな「良き芽」があり、また従来なかったタイプの本を読む楽しみもある、ということに「希望を持って」生きてください。
(註1)「未来からの報告」などと聞くと、SF的で「荒唐無稽」と考えるかもしれません。しかし私の専門である一般相対論にしたがうと一九八〇年代には「タイムマシン」は理論的に可能だという結論になっています。もちろん、現実の物体をタイムマシンに載せて「時間移動」させるためには「極めて特殊な条件を満たす物質」の存在が必要で、そうした物質を作り出したり見つけたりすることは不可能だと思われていますので、タイムマシンを使って物質を時間移動させることは実現できないのですが、ここでは「メッセージ」という情報だけを「二〇一五年から一九六九年へ」送ることはできるとしました。

(註2)このあたりに関しては、教養学部の学生諸子だけでなく、若い人の多くに知ってもらいたいという気持ちから、ある程度の長さの文章を書きました。それは近いうちに講談社から出版されますので、興味を覚えた人は、読んでみてください。

(広域システム科学系/宇宙地球)

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