HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報577号(2015年10月 7日)

教養学部報

第577号 外部公開

安倍談話をめぐるポリティクス

川島 真

内閣総理大臣談話(平成27年8月14日)
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

■安倍談話の反響
2015年8月14日に公表された戦後七十年安倍談話は内外で大きな反響を呼んだ。一時、9月3日に中国で行われる反ファシスト闘争勝利記念日関連行事(軍事パレード含む)への、総理の部分的参加も合わせて検討されたが、それは見送られた。もし、北京で何かしらの歴史関連のパフォーマンスが総理によりなされていれば、談話の意味合いも変わったが、その可能性は途絶えた。
安倍談話に対しては、批判と評価が相半ばし、評価する向きがやや優勢である。内閣支持率も一定程度回復したとの報道もある。もともと政権は、日本社会に国民で共有できる歴史観を提示し、歴史への決算を行おうとした面がある。だが、結果的に評価は二分され、その試みは成功したわけではない。
この談話への最大の批判の矛先は、謝罪部分が間接話法で主語が明確でないこと(従って、「謝罪に心がこもっていない」となる)、また子々孫々まで謝罪を引き継がせないとしたこと、さらには日露戦争評価や侵略の起点を1931年としたことなどへ向かう。国際社会では、とりわけ韓国からの批判が強い。また、歴史修正主義者だとされてきた安倍総理自身が自らのイメージを払拭するには至っているか、疑わしい。

■安倍談話の作成過程とアジェンダセッティング
日本のメディアは、安倍談話の構想が発表されると、「採点表」を作り上げた。それは、「侵略」「植民地支配」、そしてそれらに対する「痛切な反省」「お詫び」という四項目であった。この四項目の有無が焦点とされたのである。ところが、安倍談話作成のために設置された二十一世紀構想懇談会に与えられた課題は、歴史、戦後七十年の日本の国際貢献、和解の試み、そして二十一世紀の構想という三点にあった。中でも戦後七十年の和解と国際貢献が焦点であった。だが、メディアの四項目は主に歴史とそれへの評価に重点が置かれていた。構想懇談会の議論も、四項目を中心になされたわけではないのである。しかし、最終的にメディアのアジェンダセッティングは、社会に広まって、争点と化し、最終的には委員会にもその流れが流入し、談話を作成する総理官邸もそれらに配慮せざるを得なくなったと言えるだろう。

■政局の変容
その理由は、まさに安保法制の審議をめぐる状況、国会の会期延長などにある。安倍政権の支持率は低下した。また本来ならば国会の会期外で発表されるはずだった安倍談話は、たとえお盆休み中とはいえ、こうした政局と深くかかわるものになってしまったのである。
閣議決定された安倍談話は、戦後七十年に日本が世界の秩序形成の貢献者で、通商レジュームの支持者であるとか、戦後日本が和解に努めてきた平和国家で、武力を用いて国際紛争を解決してこなかったなどとしている。これらは現在の政局を意識し、安倍政権の政策に歴史的な支持を与えようとするものである。しかし、そうした内容とともに、世論動向に影響を与えることが予想された四項目への対応が、二十一世紀構想懇談会の提言書の最終的な作成段階でも、またおそらくは談話の作成段階でも無視できなくなったと思われる。このような状況の下で作成された談話は、この四項目も含めて、国内外の各方面に“配慮”しようとするものになったのである。

■安倍談話の歴史観
今回の談話は、村山談話など歴代内閣の談話の内容、ここ一年ほどの総理の内外でのスピーチの歴史関連部分の表現、さらに二十一世紀構想懇談会の提言書の内容など、複数のテキストを底本として、あらためて作文されたと思われる。それだけに多様なコンテキストが談話には織り込まれている。
この談話の歴史観にはいくつかの特徴がある。村山談話は、日本の侵略や植民地支配について、時期を限定せずに反省やお詫びを示したようにも読める。しかし、安倍談話では主に1931年の満洲事変以後に世界の不戦、あるいは反植民地主義の潮流に反し、国家の進むべき道を誤った、としている。これは二十一世紀構想懇談会の見解に即したものだ(16名の委員のうち2名がこの記述に反対した)。無論、これは中国や韓国の公的な歴史観とは異なる。とりわけ1910年に日本に併合された韓国の反発は強い。
また、「お詫び」について、子や孫にまで「お詫び」を続けて求めるようにしたくはないとした点であるとか、戦後の日本の和解に協力した国家や個人に感謝を示した部分は、ドイツでの言説を参照したようにも見える。前者は、ヴァイツゼッカーの言葉、後者がメルケル首相の発言との関連が想定できる。歴史認識をめぐる問題には確かに国際標準が形成されつつあるようであり、日本政府もそれを意識したのかもしれない。だが、欧州と東アジアでは環境が異なりすぎる。同じ言葉を使っても位置づけが異なる点もあるので、留意が必要だ。

■意図と説明
安倍談話の作成過程ではいくつかの底本があり、またメディアの設定した評価軸があり、さらに内外に配慮する必要もあった。それだけに、分量が増してしまい、全体としての意思や意図は伝わりにくい面が少なくない。だからこそ、政府には自らの意図を、意を尽くして明確に説明することが求められる。さもないと、誤解や誤読、偏った解釈や印象論が世界に広まることになるだろう。
最後に指摘すべきは、この談話が多言語(日本語、英語、中国語、韓国語)で発信されたという点だ。この談話は多言語の総体として把握されるべきである。主語の有無や、四つのキーワードの訳され方をはじめ、それぞれヴァージョンで印象も異なるであろう。

(国際社会科学専攻/国際関係)

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