HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報577号(2015年10月 7日)

教養学部報

第577号 外部公開

<時に沿って>今を楽しむ

植田一石

春にキャンパスを歩くと、自分が新入生だった頃のことを思い出して懐かしくなります。昔は歩いているだけでサークルや下宿のパンフレットを山ほど貰えたものですが、今は華麗にスルーされる事に、抗うことのできない時の流れを感じます。

一方、講義をしていると、昔に比べて今は真面目な学生が多いように感じます。生存者バイアス(研究者になるような人は、あまり人の言うことを聞かない)もあるかも知れませんが、それだけでは説明できない気がします。

高校までに比べて大学は圧倒的に自由で、それは自宅外生に特に顕著です。もちろん自由の行使はその結果に対する責任を伴うわけですが、誰かの指示に従った場合でも、自分の人生に最終的に責任を負えるのは自分だけなので、自分で考えて行動し、その結果に対して自分で後悔するべきです。
その時に現れる難しい問題は、今を楽しむ事と、幸福を人生全体で積分した値を最大化する事の両立です。ここで注意すべきなのは、どんなことも深く学べば面白い事と、真に楽しむには時機が重要である事です。

前者については、詳しい説明は不要でしょう。また、逆もしばしば正しく、浅くしか学んでいないことや理解が不十分なものを面白いと思うことは稀です。面白いと感じるまでの閾値はその分野との相性のようなもので、これが合わないと、面白いと思えるようになる前に努力を放棄してしまいがちです。
一方、楽しむのに時機が重要な例として、「天空の城ラピュタ」というアニメを考えてみましょう。これは宮﨑駿の最高傑作であり、これを母国語で観ることが出来るというだけでも日本に生まれてきた価値があるというものですが、これを主人公たちと同じ年代(つまり、10代前半)で観るのと、歳をとってから観るのとでは、感じ方が全く違います。これを読んでいる皆さんの大部分は18歳以上でしょうから、今の時点でまだ観ていない人はもう手遅れです。

私は既にムスカの年齢も超えてしまいましたが、幸いな事に十分若い時にラピュタを観たので、今でも観ると当時の瑞々しい感動が蘇ってきます。同じように感じる人が多いから、数年に一度は地上波で放送されて、その度にツイッターが過負荷になるのでしょう。

これに対し、原恵一のクレヨンしんちゃんのような作品は、表面的には低年齢の子供向けでも、実際には明らかに大人を対象としています。幼稚園児でも楽しめるのは確かですが、真にその作品を鑑賞しているとは言えません。

これはアニメに限らず、学問に関しても言える事です。つまり、今のうちに学んでおかないと、歳をとってからでは面白いと思えない分野が存在する一方、歳をとらないと本当の面白さが分からない分野も沢山あるということです。

とは言え、「正しい」選択は後からしか分からないですし、どのみち人生の大部分は無駄で出来ています。選ぶのは皆さんですが、その人生が幸多きものになることを祈っています。

(数理/数学)

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