HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報578号(2015年11月 4日)

教養学部報

第578号 外部公開

遺産の形象(継承)と未来のヴィジョン ─「生命のかたち」プロジェクト・イギリス研修

大石和欣

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大地に自生する邸ケルムスコット・マナーの苔むす石壁
ユートピアへの旅路
蛇行するテムズ川を遡行し、オックスフォードを過ぎてしばらくいった岸辺で船を降りると、グレーの破風屋根を戴いた古い田舎邸が見える。ゆるやかな曲線を描く小道に沿って近づくと、畑と庭の向う側にやわらかな陽光を浴びて苔むした石壁が自然な肌色をのぞかせている。同行した女性がその壁を愛撫しながら、大地、季節、天候、そして地上のすべてのものがこの邸を生み、わたしはそれを愛しているの、とささやく。室内には、家と同じく地味で簡素な家具がわずかばかりあるだけで、壁掛けも色褪せていた。しかし、派手な装飾とは異なり、すべてがこの場所の静けさと調和した落ち着きを保っている。
ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』は、革命により機械生産、分業体制、そして政府さえも廃した中世的な夢の世界に主人公が紛れこむ物語で、夢路の最後を飾るのが上述の場面である。モリスが一八七一年から借り、一八九六年に永眠するまで住んだケルムスコット・マナーが舞台となっている。
九月初旬、多文化共生・統合人間学プログラムの「生命のかたち」プロジェクトは、引率教員含めて男女十人で、モリスを軸とする「生」と「知」の多様なかたちを探し求めてイギリスに出かけた。

知の積時性
最初の二日間はオックスフォード大学ベリオール・コレッジに滞在しての研修である。
創立は一二六三年に遡る大学最古のコレッジである。とはいえ現在の状態になったのは一九世紀のことで、表通りに面した中世の敷地と建物を礎に、周囲の土地を買収しながら一八世紀にはジョージ朝様式の寮、一九世紀にはネオ・ゴシック様式の寮やチャペル、ホールを増築していった。教育の面でも、個人授業を軸とした伝統的教育を維持しながら、社会動向を反映した制度変更や新学科設立を繰り返し、学生の多様化にも対応している。そんなことをベリオール所属の教員であり、英文学科長でもあるシェイマス・ペリー教授に庭を散策しながら語ってもらった。

歴史は流れるわけではない。降り積もっていく。その積時性がまだら模様の建築物の集合体としてのコレッジを形成し、その集積が大学を構築する。それは折り重なっていく知層でもあるが、同時に時代とともに変容し、多様化し、未来を目指しながら姿を変えていく知のかたちでもある。異時間と異様式が混淆する混在郷は大いに実存的なのだ。

ボドレアン図書館こそ知の積時性の象徴だろう。増え続ける書籍に応じて書庫・建物を増設し、現在のデジタル時代にも進化をし続ける。本の多くは書庫に眠り、時折研究者の気まぐれと必要に応じて日の光を浴びるが、中庭に残る中世の七文芸(リベラル・アーツ)の入口が誘うように、学究者の知は過去を振り返りながら未来へと進んでいく。

大学所属の博物館も同じである。前日まで別用でクライスト・チャーチに滞在していた本学文学部の葛西康徳教授が案内を引き受けてくれた。大学博物館の原型とも言えるアッシュモリアン博物館は寄贈品で成り立っている。もともと図書館最上階にわずかな収蔵物を無造作に置いていただけだったが、次第に寄贈品が増え、遺産譲渡金を元手に一九世紀半ばに博物館を建造し、陳列するにいたった。古代文明の遺物から現代美術品まで四階建館内の展示は実に充実していて、入館者の知的想像力を刺激する。

ピット・リヴァーズ博物館では博物館の原点を体験できる。ゴシック構造に組んだ鉄柱の合間に、恐竜の骨や絶滅種の剥製が点在する自然史博物館のなかを抜けると、奥に入口がある。大学院生だった頃に私が暇をみてはよく徘徊した場所で、武器や農機具、日本の蓑まで世界各地からの珍奇な収集物が、体系化されることもなく陳列されている。どう解釈するかは訪問者の想像力に任されているのがいい。啓蒙主義の一八世紀から植民地化が進んだ一九世紀にかけて、西洋的知性により世界じゅうの自然や文化が分類され、体系化されていった。しかし、自然も文化も本来は混沌であって、分類や体系化はそれに外から「かたち」をはめていく知的示威行為でしかないのかもしれない。

二日後に訪れたロンドンのデニス・セイヴァーズ館も、想像力を通して架空の家族五世代にわたる暮らしを、訪問者に再構築することを要求するものだった。館内に集積された過去の生活と文化のかたちは、誤解することも、あるいは無視することも含めて、多様な解釈を許容してくれる。

モリスの原風景と矛盾
翌日はイギリスに滞在中だったイギリス科のピーター・ロビンソン特任准教授のガイドでバス・ツアーに出かけた。
午前中訪れたのはモールバラ公の居館であるブレナム宮殿である。一七〇四年、イングランド軍を率いてフランス軍をブレナムにて撃破したジョン・チャーチルに、公爵位とともにアン女王が与えたものである。ジョン・ヴァンブラが設計したイギリス・バロック様式の堂々たる建築物だが、注目したかったのは館よりも庭である。一八世紀後半に活躍した造園師ランスロット・ブラウンがデザインした典型的なイギリス式風景庭園である。館正面から眺めると手前に湖が大きな弧を描き、その向こう側に丘陵と牧場が林を点在させながらなだらかに起伏を繰り返す。すべて人工的に維持され、演出された「自然」の姿であり、館脇に残るフランス式幾何学庭園と奇妙な対比を見せている。

それと正反対だったのは午後に向かったケルムスコット・マナーである。イングランドの館は地面に自生しているキノコのようだと言ったのはヴィタ・サックヴィル‐ウェストだが、モリスの愛したこのマナー・ハウスはまさにそんな家だった。船の移動ではなかったとはいえ、私たちのケルムスコット・マナーとの遭遇はまさに『ユートピアだより』の再現であった。豪華絢爛で人為的なブレナム宮殿と庭を見た後だけに、いっそうその感を強く抱いた。
機械による大量生産への批判から中世ギルドの再興を目指したモリスは、ケルムスコットとロンドンを往復しながら、それまでの家具に加えて、自然物をモチーフにしたモダンなデザインの壁紙や自然染色による織物を、手作業で生産すべく邁進する。

その制作工程やデザインの斬新さは、ロンドン郊外にあるウィリアム・モリス・ギャラリーで、工夫を凝らした展示と要を得たキュレーターの解説を通して手に取るように理解できる。実は幼年時代を過ごした家なのだが、少年モリスが遊んだはずの裏庭が公園となっていて、ケルムスコットにおいて自然のかたちを装飾芸術へと昇華していった彼の原風景が見えてきた。

社会主義を標榜したモリスの活動は、アーツ&クラフツ運動を生み、「民衆のための民衆による芸術」を唱導する一方で、矛盾もきたしていた。彼の高価な装飾品は結局のところ資本階級にしか購えないものだった。反工業・反資本を動機にして造形した「自然のデザイン」は、皮肉なことに顕示的消費の対象にしかなりえなかったことになる。とすると、ケルムスコットは社会の現実から離反した逃避的「ユートピア」でしかなかったということなのだろうか。

過去と未来のかたち
その後の研修はロンドンに場を移した。上述のウィリアム・モリス・ギャラリー、デニス・セイヴァース館に加えて、テート・ブリテンではターナー・コレクションを集中的に考察し、光と影が交錯する彼の筆致の背後に隠されたヴィジョンを捉えようと試み、その上で各自のテーマに従って美術館や博物館へと向かった。二夕にわたりセミナーも開催し、レディング大学マシュー・スコット講師によるターナーと同時代の画家B・R・ヘイドンについての講義、ナショナル著述学院校長兼作家のリチャード・ビアード氏による講義、またキングズ・コレッジ・ロンドンのパット・セイン教授によるイギリス移民史の講義を聴講し、それぞれ大幅に時間を超過して質疑応答と議論が繰り返された。

最終日には学生たちは自発的にオリンピック・パークのガイド・ツアーに参加した。再開発され、二〇一二年のオリンピック以後は住宅兼オフィス街となっている新生ロンドンのシンボルだが、旧住民との確執、高い賃料と人工的な生活環境への反発など問題も多い。人工的都市空間の典型だが、ブレナム宮殿の庭園もモリスの装飾芸術も自然のかたちを模した人為的なデザインでしかない。生活空間における人為と自然の相克をイギリス社会はどのような「かたち」として受容し、変容させていったのか。参加学生伊藤寧美が研修後の報告書で提示した疑問である。人びとが常に流入出し、移動し続ける都市生活空間は、中世の都市のように静的ではありえない。
研修の自由時間に図書館に赴き、『新旧ロンドン案内』をひも解いた。ロンドン留学中の漱石が読んだはずのものである。郊外が無秩序に東西南北へと手足を伸ばしていく一方で、市内では深刻なスラム化が進んでいった都市変貌の一端が垣間見える。悪化する労働者の生活環境の解決策として世紀末に提出されたのがエベネザ・ハワードの「田園都市」計画である。田園の自然と都市の産業および住居環境とを合体させた人工的な生活空間を、民間運営でロンドンの北五〇キロにあるレッチワースに創出することになった。

実はそこにモリス(およびラスキン)の思想が流れ込んでいる。アーツ&クラフツ運動を継承したレイモンド・アンウィンが中世風ながらも斬新な生活空間をデザインした。ロンドン郊外には今でも田園の風景を随所にのぞかせながら、類似の様式の家が立ち並ぶ。その一方で現代では斬新なビルが市内に聳えている。そこに過去を振り返りながら将来の「ユートピア」を築こうとするイギリス文化のかたちがある。今回訪問した美術館も懸命に予算を確保し、過去の遺産を人びとに公開しながら、地域社会との連携をはかり、未来のかたちを模索し続けている。

参加者それぞれが異なる専門領域に軸足を置きながら、それぞれのトポスで多様な反応をし、異論をぶつけ合いながら歩いた一週間の旅路は、一人旅ではけっして得ることのできない発見と経験の連続であり、駒場の教室では実現不可能な意義ある研修であった。

(言語情報科学専攻/英語)

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