HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報579号(2015年12月 2日)

教養学部報

第579号 外部公開

駒場をあとに 人生は、やっぱり奇妙です

木村秀雄

579-2-1.jpg私は1992年に教養学部に採用されました。翌年、学部報に「人生は奇妙です」という文章を書きました。一年生の夏学期フランス語の成績が「不可」でそれが「奇」に見えたことから文章を起こし、文化人類学を専攻して南アメリカをフィールドとしてきたものの、東京大学にスペイン語教師として採用されるなどとは、思いもよらなかったことを述べて、大学の語学で不可をもらった私が語学を教えるなど「人生は奇妙だ」と締めくくりました。

いろいろ言葉遊びを加えた、正直なのか、気取っているのか、よくわからない文章ですが、採用されて24年目になる今でも、私の人生に向かう気配は変わっていないのだと思います。どうして自分がいまこのようになっているのか、よくわからないのは、いまも全く変わりません。

自分の将来を見通して道を切り開いてきた、という実感は全くありません。それには、第一に父親の影響が大きいです。父は、祖父が東洋殖拓という殖民会社に務めていたために、北朝鮮の平壌で生まれました。旧制山口高校から東大の工学部建築学科を出て、陸軍省に建技士官として就職しました。親戚に戦艦武蔵の建造にあたった海軍中将がいましたので、自分も将来は陸軍中将になるつもりだったそうです。戦争中はシンガポールの南方軍司令部所属で、近くの島で飛行場の建設にあたっていました。

陸軍省に入って将来は安泰だと思っていたのに、敗戦で陸軍は消滅し、最初に就職する時にはバカにしていたゼネコンに入社せざるをえませんでした。父は戦争中のことを語ることが殆どありませんでしたが、酔った時の口癖は「人生を計算するんじゃない」ということでした。

父は、本当は物理を勉強したかったのですが、受験に一度失敗し、翌年は建築を選んだのだそうです。成績が良かったので陸軍にはいって、安泰だと思った将来は、安泰とはかけ離れたものでした。陸軍がなくなるはずはないという当時の常識にしたがって将来を選んだのですが、その計算は間違いでした。

そして、戦後すぐには、一番成績のよかった学生は「黒いダイヤ」などともてはやされていた石炭を生産する鉱山会社に行ったそうです。石炭産業が斜陽になった後に人気だったのは繊維会社でした。「石炭や繊維の現状を見てみろ。人生なんか計算できるものじゃない。自分がやりたいことを選んで失敗しても、それは自分の責任だからあきらめがつくが、計算して失敗したら何も残らない。好きにやれ。」と父は言いました。建設会社でそれなりに出世はしても、ストレスが溜まっていたのでしょう。

もう一つの理由は、学生時代に私が将来に対して悲観的だったことです。遠い将来の見通しなど立てようもありませんでした。悲観的だった理由の一つは、小学校の高学年から高校の半ばまで、吃音(どもり)がひどく、人前に立つ仕事に就くことができないのではないかと思っていたことです。他の人が自然に声を出すことができるのに、自分は自由に言葉を使うことができない。とても苦しかったです。だから、せめて一人でこつこつ仕事をすればよい研究者になれればと思いました(実際になった大学教員はそのようなものではありませんでしたが)。

もう一つの理由は、子供のころにキューバ危機などがあって、自分はどうせ核戦争で死んでしまうと思っていたことです。このような気分は私だけかと思っていたら、フランス思想の研究者である内田樹さんも同じようなことを言っていたので、あるいはわれわれの世代に共通する感覚かもしれません。

高校生活のほとんど最後までは、理論物理の研究者になりたいと思っていました。それが高校三年生の最後のところで、哲学に急に転向しました。高校二年生の倫理社会の授業の課題でキルケゴールを選んでしまったのが運のつきでした。大学にも哲学を専攻するつもりで入学しました。

ところが、哲学をいくら勉強しても、頭が空回りするばかりで、全く考えが進みません。もっと現実の生活に足をつけて勉強したいと思うようになり、文化人類学に再び転向しました。その後もフィールドを東アフリカからアマゾンに変更し、青年海外協力隊で南米に三年行き、私立大学に10年勤めた後に東大に移り、所属も地域文化研究専攻から超域文化科学専攻(文化人類学)に移ったあげくに、最後には一番の居場所は「人間の安全保障」プログラムになりました。

私の将来は、これからもどうなるかわかりません。でも将来を計算するより今のことに集中したいという私の基本的な気配は変わらないでしょう。「一生懸命」ではなく、「一所懸命」に生きていきたいと思います。孤独で悲観的だった私が、わがままを許してくれた両親・妻・子供たちをはじめ、同僚の教員や事務職員のみなさん、そしていっぱい面倒をかけてくれたけれど、たくさん刺激をもらった学生諸君のお陰でここまできました。

人生はやっぱり奇妙ですが、おもしろいです。みなさん、ありがとうございました。

(超域文化科学専攻・スペイン語・「人間の安全保障」プログラム)

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