HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報580号(2016年1月 6日)

教養学部報

第580号 外部公開

「国際三島由紀夫シンポジウム2015」の開催について

田尻芳樹

2015年11月14日(土) 於・900番教室

ポストモダンが喧伝された1980年代、三島由紀夫は早く忘れた方がいい冗談のように馬鹿にされていた。しかし私は、彼の作品を読むことでようやく生につなぎとめられていると感じるほど傾倒した。その賛嘆と驚きの念は今も変わらない。21世紀に入り、ポストモダンも退潮した現在、新しい決定版全集を擁して三島は私たちに改めて根源的な問題を突き付けている。

三島をめぐる日本初の国際シンポをやらないかと専門家の井上隆史さん(白百合女子大)に呼びかけたのが約三年前。それからゆっくりと時間をかけて企画し、生誕90年、没後45年の2015年、11月14日にようやく実現にこぎつけた。しかも、1969年5月13日に三島自身が東大全共闘と討論を行った900番教室を会場とするという私の夢がかなったのもうれしい。シンポ自体は15日に18号館ホール、22日に青山学院と場所を変え、まれにみる充実ぶりを見せたが、ここでは14日の分だけ報告する。

まず三人の基調講演。昭和初年期の円本ブームなどの出版状況の中で西洋的教養を形成すると同時に祖父母から能や歌舞伎について学んだ三島が、特に戯曲において東西の伝統をどう融合させたかを概括的に述べた松本徹さん(三島由紀夫文学館館長)に続き、5年前にベルリンで国際三島シンポを成功させたイルメラ・日地谷=キルシュネライトさん(ベルリン自由大学)が、『禁色』がトーマス・マン『ヴェニスに死す』、特にその古代ギリシアへの言及を意識していることを細かく論証し、三島の「世界文学」性を明確にした。しかし、最も注目を集めたのは、93歳にしてなおお元気なドナルド・キーンさんだ。三島との出会い、『近代能楽集』英訳の経緯、三島がニューヨークで同作の上演の待ちぼうけを食った時の様子などに関する、いつものユーモアを交えながらの貴重な証言は、満場の聴衆を魅了した。「三島の芝居には笑いがない」、「三島はシェイクスピアが嫌いだと言ったが、(ユーモアを特質とする)英文学全体が嫌いだったかもしれない」という言葉には特に考えさせられた。お迎えする側としては接待に大変な神経を使ったが、18号館のオープンスペース(!)で普通にお弁当を食べてゆかれた後、そのまま会場を後にされた。

午後は三人の特別講演から。最近本格的な三島論を発表している小説家平野啓一郎さんは、恐ろしく密度の濃い講演で、昭和30年代の三島が戦後社会に抵抗しようと努力していたのに、四十年代に入って反動化し天皇主義に走った転換の意味を、『仮面の告白』を精密に分析することで探究した。次に登壇した俳優・劇作家・演出家の芥正彦さんは、まさに900番教室の壇上でかつて三島とやり合った東大全共闘の一人だ。スクリーンにその時の秘蔵映像が流れると、46年の時間が一挙に消去される不思議な感覚に捉われた人も多いだろう。当時芥さんが赤ん坊を抱えていたのは、すべてが統一された三島の時間に対抗する空間の生成への感謝の意味があったとか。三島は「俺たちの解放区のエクスタシーを横取りしに来た」と言う芥さんは今でも解放区を生きているようで衝撃的だった。三島の最後の六年間に親しく接した詩人の高橋睦郎さんも、貴重な記憶の数々をヴィヴィッドに語ってくれた。最初に会った時から彼の存在感の希薄さと肉体的虚弱を感じ取ったこと、結婚や川端のノーベル賞受賞に関して漏らしていた本音、散文を学ぶためによいと三島が推薦した本のことなど興味深い証言を交えながらの独自の分析は時間が経つのを忘れさせた。

最後に三島の最大の問題作『豊饒の海』をめぐるパネル。日本のアニメの研究で知られるスーザン・ネーピアさん(米国タフツ大学)は三島と宮崎駿の意外な並行性を指摘し、比較文学者の四方田犬彦さんは第四部『天人五衰』のエクリチュール自体が五衰の相を示していることを特に冒頭部分を精読しながら鮮やかに論じた(後で話すと『ミメーシス』(アウエルバッハ)のやり方だよ、と言われた。なるほど)。『源氏物語』の新しい英訳を出したばかりのデニス・ウォッシュバーンさん(米国ダートマス・カレッジ)は、18世紀の崇高美学が『白鯨』、『源氏物語』、『天人五衰』に共通するというスケールの大きな論を張られ、『豊饒の海』創作ノートの研究で最近新しい解釈を打ち出した井上隆史さん(今回のシンポの企画の中心人物だ)は、三島が傾倒した唯識や、バルザック的「全体小説」という概念、さらにはアウシュヴィッツとの関連で『豊饒の海』を読み直すという最新の研究成果を披露された。何という盛沢山な内容だろう! 司会者の私は興奮しきりだった。

小雨がぱらつく中、900番教室は予想にたがわず大入りになった。フロアとの交流の時間は十分に取れなかったけれど、三島のアクチュアリティには強い印象を持ってもらえただろうと信じる。さて、今、私は宴のあとをどう生きようか、考えあぐねている(シンポ全体の論文集は2016年中に水声社から刊行予定。乞うご期待)。

(言語情報科学専攻/英語)

 

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