HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報581号(2016年2月 3日)

教養学部報

第581号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場という場所の在りさまと現在  ─自分自身ふり返ると

黒住 真

本学教養学部において、私自身は、1970年から約二年間学生となり、また1994年から約22年間教員となりました。この前後二つのあり方をまず少し述べます。

前者は、時期は短いですが、いわゆる大学紛争の余波も強く残ってそれがとても印象的な時代・場所でした。たまたま生協食堂でテレビを見ていると、三島由紀夫の自殺事件が報道されました。構内では、何か戦いと学習と部活などが自由に混ざっており、しかも研究がどこか行われ続けているようでした。私は三島には全然共感しませんでしたが、逆に頭のいい若者がまったく当時の諸事件とは無関係で直ぐ進学するのにも翻ってまた驚きました。私自身は、高校紛争を経たので、そもそも大学に入るのか、入るならどこに進むのかを迷い、何かを探し続けていたからです。
研究者まして教育者になろうとは最初全く思いませんでした。ただやがて自分たちの知らない足下の文化や歴史を理性的に知るべきだと思い、更に日本や東アジアを調べ考え始めました。駒場を含め六・七年程迷いながら勉強と模索をし続け、大学院で修士論文を作ってある程度認められた後、漸くもっと研究を持続しようかと思いました。現在の進学等の状況からみれば、その前後迷いの時期はとても長く、ふり返れば有難いことでもありました。

後者つまり教育・研究の内部により入ることになったのですが、それはこの迷いの時期があったからで、それが自分自身学問の意味を探すよい切っ掛けになった訳です。実際、非常勤を始め多くの別の場所を知りましたが、その知ることの視野は駒場東大が担う「学問」から来ていました。

さて教員となった駒場の内部には、外からは知らなかった多くの物事や規則がありました。入れば入るほど何かが判り、解決の自由さが不自由さと結び付いて現れて来ます。それはとても忙しく大変なのですが、逃げない教員や職員が結局とてもいるということに、プラスの意味で驚きました。端的にいうなら、駒場は、閉じた場所ではなく、関係が下も上も内も外も深く大きい「ある焦点となる場所」です、大変だけれども「意味ある尖端」なのです。
内部の人間としての私自身の、教育と研究を少し具体的に述べます。それは仕事として簡単には、1・2年:国文漢文、3・4年:地域文化でのアジア科また比較での学際日本文化、大学院:地域文化でのアジア日本といった場所です。そこに実は多くの教育・研究の営みがあり種々様々な講義や演習(実験)また会議が多くの交流と共に展開しています。東大内部の様々な場所また学外さらに海外の同様の組織とその人々─そうした開かれた大きな動的な場所の内部に、私自身がいました。そこでの物事に何でも対応するのは大変だし選べばいいのですが、そこに結局、自分自身に訪れる「意味」を持つものがあります。
歴史を見ると駒場を含め大学には、20余年の間、かなり変化がありました。現在は、むろん紛争期やその直後などとは違って、むしろ政治や経済と結び付いた学外・国外との関係や宣伝の「大波」さえ訪れているようです。その中で自分自身としては、本当の学問と研究を求め持続させたい、それを歴史的に遡ると共に次世代にも連関させたい─かかる期待をかなり持ち続けています。「意味」といったものはそこにあります。

学問の普遍性は様々な形であるもの、といえます。私自身が事務・行政ではなくいわば学者・教育者として基本的に担っているのは「思想史」(Intellectual History/ History of Ideas)と称される仕事です。それは言語など媒体を基礎に人の思考や理念の流れ・世界像を歴史的にとらえる学問です。それをこの駒場で私自身は、時代としては近世から近代(16〜20世紀)を主とし、場所として地球上をある程度とらえながら特に東北アジアさらに日本内部に向かいました。

「思想史」という学問を、歴史を辿ってみると、それは、駒場いやそもそも日本では、いわゆる文科系のうち、言語学・文学また歴史学や社会学・経済学・政治学などに比べると、大学でさほど多く行われてはいません。いわば従来の「講座制」の中に十分位置付かなかった、よくいえばこれを越えて交流する分野です。戦後だと、丸山眞男、和辻哲郎、相良亨、尾藤正英、家永三郎、溝口雄三、子安宣邦、安丸良夫など比較的有名な学者が日本について研究しました。1990年初頭ぐらいまでは、彼らを始めこの分野の資料・研究・出版などもかなり大きく行われました。

ただし、その後はどうかというと、全体としてはかなり減少し始めます。重要なものが文庫のようになって段々アーカイブとなります。蔵に入らねば棄てられもします。実際、かつて大きな手間を担って作られた「思想史」の古書は、値段が安くなり捨てられるか、さもなければその意味を知る日本の外部に流出し始めてもいます。

この「戦後的な生成」と「世紀末以後の減少と海外化」という時代的傾向は、思想史という学際的また非受験的分野によりあらわれたものでした。が、俯瞰してみると実はそれだけではない、結局かなり多くの学問分野にも更に見出されていく物事でした。「講座制」解体のみならず「従来型の学問の減少」というべき事件として、たとえば科目の編成や授業評価などといった現象と結び付いて広がり始め、それは文科系のほとんどの分野にも及ぶものでした。学ぶ側自体も大きくは経済的にも余裕が無く、そもそも学問・研究をする「日本人」がまさに減少しつつあります。理科系にも違いはあれ似た現象があるのでは、と思います。

これに対してどうあればいいのか。もちろん「市場や勝ち負け・宣伝」また「国家」などと結局結び付いて位置付くことは根本的な解決では全くありません。その方向ばかり求めるなら、学問や文化の内実の空白、根底の解体さえ発生し、経験の喪失は負の事件を生じます。そうではなく、学問それ自体、いわば真理に向けての人間の具体的普遍的な仕事、そこに「大学」がある、と私には思われます。

駒場および東大の内部には、学問・教育・研究をする「具体的経験と資料の蓄積」が「真理また自由」と共にあります。その「方法」を、海外をも含め充実・発展させていくことが大事で、その営みの尖端として駒場がある、と思います。そこにある学問・教育・研究をしたい持続したいといった願い、それを学生・留学生・研究者・教員たちが派閥や国籍を越えて共に持てば、と思います。
大学・大学院において、本当に学習・研究する人間へと援助・関係を拡充させ人々・留学生また社会人を国籍や分野を超えて育てること。その仕組が余裕を持って形成されることで、歴史を知りながら将来に向かう国を超えた普遍的な人間としての「学問」の展開がある筈です。その一端として関係付きたいと、自分自身、駒場をめぐり考えます。駒場を去った後もその考えはきっと同じです。

(地域文化研究専攻/国文)

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