HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報582号(2016年4月 1日)

教養学部報

第582号 外部公開

変わることと変わらないことを巡って

畠山哲央

小学校の頃の記憶はもう殆ど残っていないが、校庭の隅で蟻をよく眺めていたことは未だに覚えている。夏の始まりの時期になると、蟻は餌を巣穴に運ぶために見事な行列を作る。当時の僕はなんとかそれを分断してやろうとして、行列の途中に穴を掘り、さらに水を入れ、池を作ってしまった。すると、それまで規則正しく動いていた蟻たちは、急に右往左往しはじめて、しばしの後に見事に池を迂回する形で元通りの行列を作った。行列を乱された蟻たちが静止することなく、むしろ活発に動くことにより行列を強固に保つことに驚きを感じたのを未だに覚えている。
蟻が環境を乱されてもなお行列を強固に保ち続けるように、何かの撹乱に対して生物がその性質を強固に保つことを、近年の生物学においては頑健性(robustness)と呼ぶ。一方で、同じような撹乱に対して、生物がその性質を大きく変えることを、可塑性(plasticity)などと呼ぶ。これらの性質は一見両立しなさそうだが、蟻の行列のように、実際の生物においては様々なレベルで両立しているように思える。では生物はどのように頑健性と可塑性を両立しているのだろうか。この問題にアプローチするために、体内時計は一つの好例である。

体内時計は、我々の体の中で約二四時間周期のリズムを作りだし、様々な生理現象をコントロールしている。体内時計は、一日のサイクルを予測し、来るべき夜(あるいは昼)に備えるために重要だと考えられている。実際に、生物は進化の過程で幾度か独立に時計遺伝子を獲得したと考えられており、未来の予測が生物にとっていかに重要かが分かる。しかし、予測が有用なのは、あくまでもその予測が正確であればこそ、誤った予測は生存を脅かしかねない。そこで、体内時計は正確な予測のために二つの仕組みを備えている。

一つ目は、周期の温度・栄養補償性と呼ばれるものだ。通常の生体内の化学反応は、温度や細胞内の栄養物の濃度に応じて、その速度を大きく変化させる。一方で、体内時計の周期はそれらの変化に対して非常に頑健であり、温度や栄養濃度が変化しても、体内時計はほぼ二四時間の周期で時を刻み続ける。

二つ目は、周囲の環境変化による位相のリセットだ。これは、体内時計が指す時刻、つまり体内時計の位相と、外部の時刻が一致しない場合、体内時計の時刻合わせができるということを意味する。体内時計の周期は厳密に二四時間ではなく、時刻合わせをしなければどんどん誤差が蓄積してしまう。そのため、正確な予測のためにできるだけ迅速に時刻合わせをおこなう必要がある。実際に体内時計は、外部の明暗の変化や、温度変化、栄養状態の変化に応じて、位相を大きく変化させることで、比較的素早く時刻合わせをすることが知られている。

ここで興味深いのは、温度や栄養濃度の変化に対して、周期を頑健に保ちつつ、位相は可塑的であるということだ。では、どのように周期の頑健性と位相の可塑性を両立させているのだろうか。この問題に対して、総合文化研究科の金子邦彦氏と共に、理論生物物理学的なアプローチで挑んだ。まず、計算機の中で体内時計のモデルのシミュレーションをおこなった。すると、周囲の環境変化に対して周期をより一定に保ちやすい時計は、同一の環境の変化に対してより同期しやすいという互恵的な関係が、様々なメカニズムの体内時計で見られた。また、周期の変化量と位相の変化量の合計が一定になるという不思議な関係が成り立つことが分かった。これは周期の頑健性が高まると同時に、位相の可塑性が高まることを意味する。

ではなぜ周期の頑健性と位相の可塑性の互恵的な関係が成り立つのか。時計のモデルの解析から、周期の頑健性を実現している時は、周囲の環境の変化にあわせて、時計を構成する一部の化学物質の量が大きく変化していることを突き止めた。そして、これは時計の周期を決める律速反応の速度変化を打ち消すように変化していた。これにより、もし化学物質の量の変化が十分大きければ、周期の変化は打ち消されるが、一過的に化学物質の量が大きく変化し位相が大きく変わり、一方でその変化が小さければ、周期の変化は打ち消されず、位相の変化が小さくなることがわかった。つまり、体内時計において周期を変えないためには、位相が変わらなくてはならない、という関係が見出されたのだ。

小学校の時分の蟻のことを未だに覚えているのは、おそらく「変わらないために変わる」ということに、当時の僕は生命のありようのようなものを強く感じたからだろう。それから数十年の時を経てもなお、生命の「変わること」と「変わらないこと」への興味は変わらない。だが対象が体内時計に変わり、研究分野は理論生物物理学へと変わった。やはり、「生命」は変わらないために変わるのだ。まだ、生命の変わることと変わらないことを巡る研究は始まったばかりだが、今後も変わらず、同時に変わりながら研究を展開し続けたい。

(広域科学/相関)

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