HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報585号(2016年7月 1日)

教養学部報

第585号 外部公開

<本の棚>森政稔著 『迷走する民主主義』

増田一夫

民主主義、
その批判的診断と希望

完璧な民主主義が存在したためしはあるのか? いや、ない。では、何らかの形で民主主義が問題をはらんでいることは? ある。つねに。
民主主義は絶えず「迷走」してきた。平等化と政治参加を進めた二〇世紀も、その終わりから一転して、不平等と無関心が広がっていった。そのなかで民主主義の「迷走」をめぐる悲観的な見方が強まっている。予断を許さないアメリカの大統領選、排外主義的極右の大統領が誕生しそうになったオーストリア、不安な兆候には事欠かない。

本書は、二〇〇九年の日本で見られた政権交代から出発し、今日の民主主義を取り巻く思想的環境へと考察を広げてゆく。戦後長く続いた保守政党中心の政治体制(「五五年体制」)の崩壊と民主党政権の誕生は大いに歓迎され、当初の内閣支持率は七〇%を超えた。いまや民主党という党名すら残っていないことを考えると、隔世の感がある。

なぜ、かくも期待された政権があれほど早く瓦解し、いまだに信頼を回復できていないのか。官僚支配からの脱却と「国民生活が第一」を掲げた政権の看板政策の数々、子ども手当、農業の個別所得補償制度、高速道路無料化、ガソリン減税。失敗はいずれも、社会と生活を支える無数の相互関係に無知であったこと、政策による経済リスクに配慮しなかったことに原因があるという。労働者保護をめざした派遣労働の制限も、企業による「派遣切り」という、当初の意図とは正反対の結果を生んだ。そこには深刻な「統治」の欠陥が見られる。

手厳しい分析の目的は、民主党批判ではない。むしろ、社会をめぐる知を充分にもたぬとき、政治そのものが災厄となるという警告である。また、金融市場、資源、環境、科学技術、国家暴力をめぐるグローバルな危機に対抗しうる統治術がまだ存在しないという警鐘である。民主党政権はむしろ、従来の政権よりも技術進歩や経済成長に対する懐疑に、富や権力の追求以外の多様な生き方に敏感であった。「モノから人へ」という方向づけも「ポスト物質主義」との親近性を示している。だが、新自由主義、金融資本主義を民主主義の内なる脅威と適切に位置づけながらも、統治技法の未熟ゆえに事態を好転させることはできなかった。

著者の基本姿勢を知るためには、多岐にわたる論点が民主主義の擁護へと収斂してゆく最終章「有限で開かれた社会へ」をまず読むのがよいかもしれない。数限りない相互依存関係からできあがった巨大な人間社会が、なお社会として成り立っているという「奇跡」。有限かつ開かれた空間。その環境を支える無数の相互依存関係はあまりにも肥大した生産‐消費活動によって、またその活動の最適化をめざす「ガヴァナンス」によって危機に瀕している。ここでも著者が重視するのは、人々の営みである。その観点からは、新自由主義のマネジメント権力が広げる「さかさまになった全体主義」、そして個々の発意を封じてしまう「国家戦略」は、相互依存関係に立脚する社会に対する脅威以外のなにものでもない。

もっとも、「奇跡」という語から、受動的な待望論を想像してはならない。著者はいう。新自由主義の欠点は多くの人が認めている。だが、There is no alternative(M・サッチャー)として、これほど「仕方がない」という諦念から採用された思想も少ない。本書は、その諦念を捨て、非人称的な権力作用というコントロール不可能で怪物めいた力から民主主義を解放し、新自由主義へと矮小化されたのではない自由の意味を取り戻すための考察と行動への呼びかけにほかならない。

「あとがき」によると、「新書としてはメタボなサイズ」だそうだ。しかし、贅肉はない。主要な政治思想をめぐる思想マップ、戦後日本政治のおさらいなど、親切な配慮に満ちた著作である。具体的な事例から思想へとつなげる姿勢は誠実に尽きる。ある調査によると、新たに選挙権を得た十八歳、十九歳の人々の六四%が年齢の引き下げに反対だという。本当だろうか? 本書は、年齢にかかわらず、選挙に備えるためにも、最高の一冊だと思う。

学部HPで『教養学部報』第五八〇号の〈本の棚〉、「民主主義とは何か」も併せてご覧いただきたい。

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)
 

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