HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報586号(2016年10月 4日)

教養学部報

第586号 外部公開

<時に沿って> 「私的なこと」 からの出発

土屋和代

この度、総合文化研究科地域文化研究専攻(前期課程 英語部会)准教授に着任致しました。

1960~70年代に米国で巻き起こった女性解放運動のスローガンに、「私的なことは政治的なこと(The personal is political)」ということばがあります。それまで「私的な問題」に過ぎないと一蹴されてきたこと(家事分担、子どもを産む・産まないという決断、育児と仕事の両立など)が実は「政治」の問題であると言い当てたこのことばは、同時代の女性たちの心を広く刺激し、運動へ駆り立てました。「政治」の側に、女性たちが日々直面している問題に目を向けるよう、注意を促すことばでもあります。

私の専門はアメリカ社会史です。黒人解放運動や女性解放運動と交錯し、影響を受け、影響を与えながら展開した、福祉受給者の人びとの運動─「福祉権運動」─について研究を進めています。連邦・地方政府が貧困層、労働者、少数派の人びと、シングル・マザーとその家族の「生」にどのように介入し、彼女/彼らを統治の対象としたのか。また、政府が行う「上」からの政策を、社会運動の担い手がどのように受けとめ、書き換え、再構築したのかという点に関心があります。

私自身はどちらというと、言いたいことがあっても言えない、疑問に思っても起ち上がって異議申し立てをする勇気がなく、尻込みしてしまう方でした。しかし─だからこそ─人種やエスニシティ、階級、ジェンダーを理由に不当な差別にさらされる人びとが、自らを取り巻く社会を変革するために起ち上がる姿に強く惹かれてきたように思います。歴史を学ぶ者として、史料を渉猟し、当事者が同時代に記した言葉、生みだしたもののなかから歴史を探求したいという思いは強くあります。ただ、異議申し立てをする黒人や女性、貧しい人びとの言葉と運動を通して、自分自身の胸につかえて吐き出せずにいた思いが消化/昇華されてきた─自身が救われてきた─のも事実かもしれません。

歴史家E・H・カーは『歴史とは何か』のなかで、歴史とは「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」であると述べました。歴史家によってその後繰り返し言及されてきたことばです。歴史の「事実」はそれを綴る人の主観や価値観、その人を取り巻く社会環境によって大きく左右される─歴史家個人の主観やその人が置かれた環境と、客観的・実証的(とされる)歴史は分かちがたく結びついている。逆に言えば、「私的なこと」には、「政治」を動かし、歴史へのまなざしをかたちづくる力が秘められていると思います。

家庭で、大学で、街中で、ニュースを聞いて「おかしいな」と思うこと。授業で「本当だろうか?」と疑問に感じること。受講生の皆さんにはそうした「?」(問いをたてること)を大切にして頂きたいです。私自身も自分のなかで沸き上がる「問い」をこれからの研究につなげていきたいと思います。

ここ駒場の地で研究、教育に携わる機会を頂いたことに感謝し、専心努めて参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

(地域文化研究/英語)

第586号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報