HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報586号(2016年10月 4日)

教養学部報

第586号 外部公開

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橋本毅彦

教養学部の一、二年生向けの必修科目「力学」と総合科目「科学という考え方」の講義内容をベースに、約十回の講義形式で物理学の成り立ちを分かりやすく教えてくれる著作である。タイトルが似通っているとおり、ルーツとテーマを共有する姉妹編である。中公新書(以下中公本と略)の方は一般相対性理論とブラックホールなどの現代宇宙論まで解説し、東大出版会の本(以下東大本と略)の方はさらに相対論における対称性、素粒子論、統計力学などまで解説が及ぶ。東大本の方はタイトルにあるように、高校数学を前提にしつつ物理学の内容を最小限の数学を使いながら理解させてくれる。

内容を簡単に紹介しておこう。両書とも第一講(講義を基にしており、章ではなく講で数えられる)から第八講まではテーマが対応して配列されている。第一、二講は序論として「原理と法則」について説明し、「科学的思考」とは何であるか簡単に述べる。第三、四講ではケプラーとニュートンをとりあげ、ケプラーの惑星の運動法則の由来、ニュートン力学の成り立ちを説明する。続く第五講から第八講までは、運動の相対性やエネルギー、慣性力などを取り上げながら、アインシュタインの特殊相対性理論と一般相対性理論の基礎概念を説明する。中公本の第二講末尾で述べるように、ケプラーは法則の発見を通じて、「宇宙の調和」という原理を探ろうとした。アインシュタインは原理をはっきりと最初に示すことで、数々の法則を導いて見せた。「法則から原理を見つけようとすること、原理から法則を導くことの両方が『科学という考え方』なのである。」このように著者は科学的思考法の要点を述べる。

ケプラーの業績は、惑星の楕円軌道の法則や面積速度一定の法則などの発見で、それらの法則の発見の過程について両書で解説をしてくれているが、ケプラーの目標はさらに宇宙の中の調和の原理を見つけようとすることだった。前半生で太陽から各惑星までの距離の比率の理由を探し求めようとしたが成功しなかった。だがその思いは後半生にも引き継がれ、第三法則の発見につながることになる。そしてその後ニュートンがケプラーの三法則からより根本的な原理に到達しようとしていく。

一方アインシュタインの場合は、光速不変の原理と相対性の原理という二つの原理を最初に提示し、そこから多くの諸関係や諸法則を導き出す。また約十年後に提出した一般相対性理論においても等価原理という等加速度で運動する座標系で作用する見かけの力と重力とを同等視する原理をおき、その上で多くの理論的帰結を導き出していく。ただアインシュタインにしても、根本の原理を探し求めるということに関心を集中してきたことは確かである。法則の段階に止まらず、原理を追求すること、そこに著者は科学という考え方の要諦を見ているように思う。

二冊の本にはいずれも「アインシュタイン」をタイトル(あるいはサブタイトル)に含んでおり、相対性理論の理解が全体の物理学の発展を追う上で、要の役割を果たしている。筆者は中公本をまず一読し、その後東大本の第九講以降を読み進めてみた。第九講は「対称性とは」と題されて、時間と空間の値を二つの等速運動座標系で変換させるローレンツ変換、ローレンツ逆変換について行列を使って分かりやすく説明し、さらに電場と磁場のローレンツ変換・逆変換についても説明してくれる。1905年のアインシュタインの論文は「運動物体の電気力学について」と題されており、電磁場に関するローレンツ変換の説明は、相対性理論の理解をさらに深めてくれる。第九講で論じた「対称性」の議論は、第一〇講で素粒子論の発展の説明につながっていく。第一〇講は、量子力学が完成する時点から最近のヒッグズ粒子の発見までを説明しており、20世紀の素粒子論の発展を俯瞰してくれている。

どちらの本も、歴史に残る業績を残した多くの科学者たちの論文や著作を繙き、それらから印象に残る多くの言葉を引用している。両書にちりばめられる科学者の含蓄ある言葉が、両書の魅力ある特徴になっている。二つほど引用しておこう。一つはファインマンの言葉。「ある観察をして、次に測定した数値を得る。それから、その数値をすべてまとめるような一つの法則を得る。しかし、科学の真の栄光とは、その法則が明白だという考え方を見つけられるということなのだ」(中公本六二頁)。前述した、法則の段階で満足せずに原理まで追い求めようとする科学者の姿勢を説明する際に引用される。科学者は以前は「自然哲学者」と呼ばれた。このような原理を追い求める姿勢は、「自然哲学者」の態度を引き継ぐものということもできよう。また技術者とは異なる科学者の本領ともいえよう。

もう一つは、中公本最後に引用されるアインシュタインの言葉。科学者が研究者として人生を送り、自然の研究に専念していく際にもつべき心構えのようなことについて、彼は次のように言う。「私にとって十分なのは次のような思想である。すなわち、生命の永遠性の神秘と、存在するもののもつ驚くべき構造の意識と予感、さらに自然において自己を顕示している理性の一部─たとえ、きわめて微小な部分にすぎなくとも─の理解を目指す献身的な努力である。」(中公本312─313頁)著者の酒井先生はこの言葉に高校生の時に出会い、以来自分の指針としてきたという。アインシュタインの言葉とともに、それを引用した先生の言葉にもちょっと感動の念を覚えた。

中公本の方のもう一つの特徴は、物理学者の言葉だけでなく、所々に文学作品などからの引用があることである。相対性の概念を説明する際に夏目漱石の『行人』からの引用がある(157頁)。量子論の粒子と波動の二重性の説明では、「見たくても見てはいけない」ジレンマとしてオルフェウスやイザナギの神話の話を連想したりする(53頁)。そんなところも、同書の魅力の一つである。

駒場の理系の学生ばかりでなく、自然科学に関心をもつ文系の学生にも推薦したい二冊である。

(相関基礎科学/科学史・科学哲学)

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