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最終更新日:2019.04.12

教養学部報

第587号 外部公開

アカデミー・フランセーズ 「フランス語圏大賞」を受賞して

松村 剛

フランス語圏大賞は、アカデミー・フランセーズ(フランス学士院を構成する五つのアカデミーの中で、1635年に設立された最古のもの)に対して1986年になされたカナダ政府の提案と寄付に、フランス政府、モナコ公国、モロッコ王国の寄付および私的な寄付が加わって始められ、「フランス語の維持と顕揚のために極めて優れた貢献を自国で、または国際的におこなったフランス語使用者の業績」を対象とするものです。アカデミー・フランセーズは毎年一名に賞金とともに本賞を授与し、次点の者数名にはメダルを授与することとなっています。フランス学士院最古のアカデミー・フランセーズが授与する賞の中で最高位に位置づけられるものだそうです。

過去の受賞者の一覧は次のサイトで見られます。
http://www.academie-francaise.fr/grand-prix-de-la-francophonie

そこでご覧いただけるように、日本では、駒場で教鞭をとられパスカル研究で著名な前田陽一先生(1987年)が本賞を受賞し、人類学者の川田順造先生が1991年にメダルを授与されているだけです。セネガルの第二代大統領アブドゥ・ディウフ(1996年)、スイスのジャン・スタロバンスキー(1998年)、ポーランドのブロニスワフ・ゲレメク(2002年)などの著名人が受けている本賞を授与されたことは望外の喜びです。もちろん日本にはフランスに関係する様々な分野を専門とする立派な先生方が大勢いらっしゃる以上、私が選ばれたのは偶然の幸運というほかはなく、よりふさわしい方々が近い将来に続々と受賞されるよう心から願っております。

今回の受賞は、2015年にパリのベル・レットル(Les Belles Lettres)社から出版した単著『中世フランス語辞典』(Dictionnaire du français médiéval.中世フランス語を現代フランス語で説明した辞書。駒場図書館に所蔵されていますので興味をもった方は閲覧なさってください)をはじめとするフランス語の語彙研究での貢献が認められたとのことです。日本では一冊本の『古語辞典』は多数出版されていますが、フランスでは中世語(842年から15世紀までの北フランス語。ただし、イングランド、イタリア、聖地などで書かれたフランス語も含みます)に関する大部な辞書は存在しますが、一冊本の辞書となるとまともなものは存在せず、私が2007年末に依頼を受けて5年半で仕上げたものが、ようやくその欠落を埋めるよう目指して作られたものでした。言うまでもなく一人の力で作るには限界がありますから、拙著をご覧になってもっとよい辞書を作るべきだとお考えの方々もいらっしゃるでしょう。その方々にはぜひ拙著に代わる名著を刊行していただきたいと思います。そのための刺激になれば本望です。

十巻本のゴドフロワ、十一巻本のトブラー・ローマッチ、二十五巻本のヴァルトブルクといった既存の辞書を活用しつつ、用例は孫引きせずに校訂版にあたり、必要な場合には底本にされた写本を参照して修正を加えつつ、既存の辞書を批判的に活用するように心がけました。幽霊語は可能な限り排除しましたが、逆に、様々な作品や古文書(いわゆる文学作品だけではなく多様な分野の文献を対象にしています)を読みながら、従来の研究者が見落としていた単語や用例を収録することもできました。また、単語や表現がある地方に限定されている場合にはその旨を明記することも心がけましたが、この点は従来の大部の辞書でおろそかにされていた点ですから、浩瀚な辞書に見当たらない情報が拙著に仮説として提示されている場合もあります。仮説の典拠となる雑誌論文なども指示してありますので、読者は必要に応じて論文にさかのぼって仮説を検証することもできます。

一巻本ですから、おのずと収録語数、用例の数には限りがありますが、3500頁、56212項目の拙著が中世フランス語に興味を抱く様々な分野の方々に役立てば幸いです。
そもそも、なぜフランスなど欧米の人たちではなく僻地の日本人にこの辞書の作成が依頼されたのかといぶかしく思う向きもあるでしょう。実は最初はフランスの私の師匠の一人であるジル・ロック先生(中世フランス語語彙研究)が担当したのですが、出版社と契約してから十年たっても先生が原稿を出さなかったため、怒った出版社が契約を破棄し、新たに誰かに依頼することを模索したとき、ミシェル・ザンク先生(中世フランス文学)が周囲を見渡して私を指名したという経緯です。他にいなかったのかと先日尋ねたら、集団でやらせればできる人はいなくはなかったかもしれないが、短期間に一人でできそうな人は他にいなかったと言われました。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

松村 剛教授著 ベル・レットル社出版(2015)
『中世フランス語辞典』
 

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