HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報587号(2016年11月 1日)

教養学部報

第587号 外部公開

<時に沿って>大それた抱負

矢田 勉

自分が駒場の学生だった時に教わったことを振り返ってみると、今でもどっかと頭の中に据わっているのは、学問的な内容そのものよりも、それ以前の、学問する心構えに関わることがらが多いようです。私の場合、その一つが、西川正雄先生(西洋史)の講義でうかがったことでした。講義の内容はもとより、その頃ヨーロッパに全く興味の無かったはずの私が何故それを履修しようと思ったのかすら思い出せない体たらくなのですが、あるとき先生のおっしゃった、「歴史を勉強したければ一度は断食をしなさい。人類の歴史の99.9%は飢えとの戦いだったのだから。飢えを知らなければ歴史は分からない。」という言葉は、強烈に記憶に残ったのでした。
写真を見てもらえば分かるように、先生の言葉の文字通りの意味で言えば、私はそれをきちんと実践した良い教え子ではありません。しかしながら、「飢える」にもまた、いろいろな意味があります。

いま、私は日本における文字の歴史を研究しています。文字の研究は、広く言えば言語学の一分野ですが、文字には音声言語とは決定的に異なるところが一点あります。それは、音声言語が、適切な環境さえ与えられていれば、ヒトはほとんど本能的にそれを操れるようになるものであるのに対して、文字の習得には「教育」が必要である、ということです。文字が習得できるかどうかは、社会階層や経済力に大きく左右されることであり、従って文字の歴史の重要な一面は、文字を持たざる人たちが識字層へと攀じ登ろうとする、苦闘の足跡であったわけです。文字への「飢え」が、文字の歴史を動かしてきた原動力だったと言えるのです。私がそのことに気付いたきっかけは、この西川先生の言葉から呼び起こされた一つの情景でした。

私の同世代では、文字の読み書きが出来ない、という人はまずいないでしょう。しかし、私の祖父母かそれ以上の世代、場合によっては親世代でも、読み書き能力の著しく低い人はまだ散見されたものです。何を隠そう、私の祖母がそうでした。小学校四、五年生の頃だったでしょうか。祖母の家に遊びに行き、台所にある段ボールに「おちわん」とマジックでたどたどしく書いてあるのを見て、私は笑い転げました。なんだよ婆ちゃん、平仮名も書けないのかよと。祖母は本当ならば「おちゃわん」と書きたかったわけですが、西川先生の言葉と二重写しになったとき、貧しい家に育ち、満足な教育を受けたくても受けられなかった祖母の文字への「飢え」が、その字面からにわかに想起されました。そのときの目を開かれたような心持ちが、今も私の研究の原点にあるのです。

真実の重みを持った言葉は、思いがけない強さで人を動かすことがあります。私は教える技術に長けた教師ではありません。ただ、在職中に、何人かにでいいから、ああ、名前は忘れたけれど、こんなことを言っていた教師がいたなあ、という記憶が残ることを目標に教壇に立っていたいと思います。

(言語情報科学/国文・漢文学)
 

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