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最終更新日:2018.07.09

教養学部報

第587号 外部公開

<送る言葉>荒巻健二先生を送る

石田 淳

荒巻健二先生は、財務官僚から大学教員へと転身された。理由を尋ねると、いつもの笑顔で、「これがまったく他律的な理由ですよ」と。もちろんご謙遜だろうが、ご本人の弁は以下の通り。きっかけは長崎大学経済学部への出向(「開発援助論」担当)だった。着任(1997年7月1日)の翌日にはタイのバーツが暴落。アジア通貨危機へとつながるが、いったい何がこの危機をもたらしたのか。諸説あったが、納得できない。これが先生の研究課題となった。さらに夏休みを利用して日本の開発援助の現場であったタイやベトナムに学生たちを連れて行ってみると、旅の前と後とではその顔つきが変わるではないか。「この一年でやりたいことが見つかりました」と、生き生きとした表情で報告にくる学生もいた。俄然、教育にも興味が湧いた。
長崎大学への出向は2年間だったが、そのあとも大学(京都大学大学院法学研究科の法政実務交流センター)とは縁が続く。行政にも未練はあったが、2004年に「駒場の人」となられた。

行政を離れて大学に来てみると、大学でも行政が待っていた。ただ、大学の行政と役所のそれとは、同姓同名の別人の如しであった。特に、拡大教授会の直接民主主義には度肝を抜かれたと言う。合議なしにも、(稟議によって)合意は確認できるというのが役所の常識で、それが通用しない大学の現実には戸惑った。不合理、非効率と思ったが、慣れるものですね、とまたニコリ。

教養学部前期部会主任(経済・統計)、国際社会科学専攻長、大学院総合文化研究科教育会議議長等の行政上の責任を果たしながら、荒巻先生は教育には何の惜しげもなくご自分の時間と労力を投入された。二号館六階の最東端にある荒巻先生の研究室は、二号館の不夜城。授業の準備には時間をかけられた。伺ってみると、実は、先生は教員一家の中でお育ちになったのこと。遊びに来た友人には、「君のうちは、教育のにおいがプンプンする」とよく言われたとか(ちなみに、高校・大学・官庁時代の荒巻青年の卓球ライフについては、月刊卓球雑誌『ニッタクニュース』(2012年1月号)に詳しい)。

荒巻先生の不在は、駒場の風景の《埋められない空白》になる。このことを感じるのは、現在の教養学部関係者に限らない。今年度のSセメスターに開講された前期課程科目「社会科学ゼミナール」の最終回には、通貨、金融、貿易、援助等の現場で活躍する卒業生数名も飛び入りした。「OBたちも来てくれて、日本経済の長期低迷についていろいろな角度からの議論になったが、これが実に面白かった」と満面の笑み。

長い会議は苦痛だと言われるのも無理のないほど、発言者の意見をじっくり聴いてこられた荒巻先生。改革も良いが、とにかく駒場の学問(教育・研究)を再生産できるような改革でなければ意味がないですねというのが持論で、それを最後まで貫かれた。風貌ににじむ裏表のないお人柄が、この春、駒場をあとにする。

(国際社会科学/国際関係)
 

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