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最終更新日:2019.04.12

教養学部報

第588号 外部公開

「カルピス」と「満洲」と

杉山清彦

カルピスと満洲、というと、いったい何の取り合せだと思われるのではないだろうか。

子供の頃からなじみあるカルピスは、三島海雲(1878─1974)が、20世紀初頭に内モンゴルで酸乳を愛飲した経験をもとに開発した乳酸飲料である。このほど、拙著『大清帝国の形成と八旗制』(名古屋大学出版会、2015)としてまとめた研究に対し、公益財団法人三島海雲記念財団より、海雲翁の名を冠した三島海雲学術賞を授与された。

学術賞は今回で第5回になるが、研究助成は半世紀以上続けられてきているので、文系理系を問わず、ご存じの方も多いであろう。同財団の学術支援の特色は、食品関係を中心とした自然科学と人文科学との両分野を挙げていることで、後者については、とりわけアジアの歴史・社会の研究に重きが置かれている。私もまた、東洋史の分野から受賞の栄に浴したのだが、海雲翁の足跡には、そもそも東洋学と深い関わりがある。

海雲翁がモンゴルの酸乳や乳製品に出会ったのは、1902年から13年にわたって華北・内モンゴルで事業に従事した時期であり、翁自身が、清末民初期の激動の目撃者にして遊牧民の習俗を身を以て体験した観察者でもあった。翁はこの時期以来、東洋史学者・羽田亨(戦時下の京都帝大総長)と半世紀にわたる親交があった。羽田の歿後、その功績を顕彰して設立された羽田記念館(現・京大文学研究科附属ユーラシア文化研究センター)は、海雲翁が武田薬品の武田長兵衛とともに京都大学に寄附したもので、東洋史学界の美談として長く語り継がれている。

では、モンゴルならともかく、「満洲」は何の関わりがあるのだろうか。ふつう「満洲」というと、「中国東北部」のことで、そこにいたのは中国人(漢人)の農民だと思われていよう。しかし、「満洲」とは本来中国人がいたところではなく、そもそも地名でもなかった。「満洲」とは「マンジュmanju」という語に当て字した漢字表記で、本来はツングース系集団が自称した民族名なのである。

マンジュ、すなわち満洲人は、漢字・漢語ではなく、満洲語を話し、それをモンゴル文字を改良した満洲文字で表記した。本来彼らは漢字文化圏ではなく、モンゴルと文化的・社会的に近しい存在だったのである。

私は、この満洲文字・満洲語で書かれた文書や書物を主な史料として、一七世紀に満洲人がどのような国家を建設し、いかに大帝国に発展させていったかを研究している。その国家の国号が、満洲語でダイチン、漢字で大清(「大」なる「清」ではない)なる満漢両語で対応した語である。それゆえ拙著では、(中国歴代の〇朝としてではなく)モンゴル帝国やオスマン帝国などと同じ土俵で考えようとする意図をも込めて、「大清」を号した「帝国」として「大清帝国」と表現した。

その帝国形成・運営の中核となったのが、建国者ヌルハチが創設した「八旗」と呼ばれる軍事組織である。八旗は、満洲人を中心とした軍事集団であるとともに彼らが所属する社会集団・身分集団でもあり、清一代を通して支配階層とその領民を構成した。たとえてみれば、日本の武士身分や「藩」のようなものである。

この組織は、一見官僚制的な整然とした制度体系をとりつつ、内実は領主・主従的関係を生かしながら組織・運営するという二重構造をとっていた。八旗は、一面において機能的な軍事組織の形態をとるとともに、同時に主従関係や通婚関係によって属人的な求心力を具えた組織だったのである。

一方で、これは満洲人の独創というわけではなく、モンゴル帝国に代表される、中央ユーラシアの軍事=政治体制の系譜上に位置するもので、その中で最も求心的・集約的な形態と評価することができる。そのような点から、私は、「中華王朝の清朝」ではなく「中央ユーラシアの大清帝国」と呼ぶべき姿こそが、この国家の原初の実像であったと主張した。

近代以降の中国に引き継がれる広大な領域は、この満洲人政権が八旗を主力として版図に収めたものであった。そこにおいては、独自の王や首長が割拠していたモンゴルなど北方・西方では八旗制に準じた支配体制が適用され、他方、明朝を継承して朝貢関係が結ばれていた東方・南方では、中華王朝としての外交関係が展開された。このように、多様な地域・集団をそれぞれの形式で統治したのが大清帝国の支配体制であり、モンゴルは、臣属集団の一つとして外様大名的な地位にあった。

百年余り前、海雲翁が内モンゴルの土を踏んだとき、そこが当時清国の地であったのは、日本人が考えるような漢字漢文の「中国」の一部だったからではなく、まったく逆に、モンゴル的な文化や中央ユーラシア的国家組織を元来もっていた満洲人が建設した帝国の一部となっていたからなのである。モンゴルとゆかり深いカルピスが、満洲(マンジュ)とも関わりがあるというのは、このような背景からである。

遠いようで近いご縁は、それだけではない。今年はヌルハチの建国から四百年(昨年は八旗成立から四百年)に当るが、カルピスの源流となった酸乳クリーム「醍醐味」開発から百年でもある。奇しくも、ともに節目の年にご縁ができたことを有難く思うとともに、人文学への風当りいよいよ強い昨今、自然科学と人文学とを両輪とみなす先人の見識が、少しでも広がってほしいと願っている。

(地域文化研究/歴史)

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