HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報589号(2017年1月 6日)

教養学部報

第589号 外部公開

<駒場をあとに>銀杏並木の老木が語る!

代田智明

わしが住んでいるコマバという場所には、深く奥深い時間が蓄積されておる。毎年晩秋に黄金に色づく並木の傍ら、わしは幾度その列に加わったことか。おっと編集部の依頼は、彼のことじゃった。彼がここに来たのは、四十五年ほど前じゃな。まだ大学紛争硝煙の残り香が漂う時代だ。あの頃語学クラスは、とくに彼の所属した中国語クラスは、際だって奇妙でな。昼間から赤ら顔した飲兵衛の教師が、学生に色鉛筆で漢字を囲ませる、いまからすりゃとんでもない授業じゃった。

その教師が、夏は一週間語学合宿をやるという。それも三食自炊で、電気の通らない奥那須の温泉宿でだ。秋の駒場祭には、中国の現代芝居を手作りでやれという。慣例とか伝統とか言われても、教師に反抗的な時代だから、大騒動になった。さんざんクラスで議論したあげく、反対派が賛成に変わって、不思議なことに両方とも実行された。何か物珍しい新鮮さがあったのじゃろうか。この中国語クラスの芝居は、駒祭の文Ⅲ劇場の起源であるらしい。

彼はその中心的メンバーとも言えぬが、クラスの輪のなかにはいた。洗練され損なった都会的雰囲気とひょんな時見せる子どもじみた魂に、頭でっかちな理屈をまとい、いっぱし挫折者の目で世の中を斜に構えて見ている。そのくせ、適応力はなかなかで、ちゃんといるべき場所にはいるのだ。わしから言えば、若気の至り、気障で厄介な奴。本人の自覚はないだろうが、自分は傷ついているつもりで、結構ひとを傷つけていたのだろうよ。

短い人生の経歴のなかで、強い不信感を抱いていたから、教師だけはなるまいと心に誓った。だからあいつは裏切り者よのう。ここから伝聞だが、本郷へ行って大学院に進むはめになり、研究者などという自信も自覚もないまま、地方の大学教師になった。人間とは気の毒じゃ。そうすまいと思うと、磁力によって逆に引きつけられるらしい。教師までは食い扶持と言訳をした。辞書の編纂、学会の事務経営、線路の向こう側の問題作成などなど、彼が極力忌避していた数数が、その後の経歴に刻まれていく。

彼がコマバの教師となったのは、毒を食らわば皿まで、というわけではない。前任の居心地が悪くなったので、悪友の誘いに乗ったらしい。いきさつから「トーダイ」には抵抗はあったが、これも本郷ではない、というへ理屈で納得した。

彼が学生だった頃から、コマバには本郷に対する屈折があるようだった。本郷へのルサンチマンとも思える感情が、わしにも並木に漂うように感知された。分からないでもない。だが本郷が気の毒なのは、すべての可能性を秘めて生命力に溢れた若者とは、出会えないことだ。コマバの通りに並んで、彼ら彼女らを眺めていると、そのことがよく分かる。だから、彼の言訳は結果的には、ごまかしではなかったとわしは信じる。とくに、一年生の語学クラスからは、吸血鬼のごとく若若しい気力を吸収できる。彼にとって、かったるいときもあったが、なってはいけない教師になった存在証明なのだ。

コマバでの彼の活動といえば、学生委員でキャンプラの立ち上げに苦労し、次いで学内寮紛争の渦中に巻き込まれたことだろう。皮肉にも学生時代とは、反対の立ち位置を迫られたわけだ。詳細はよく知らぬ。ただ夜中とも言える時間に、彼が並木の奥を徘徊していたのは、しばしば見かけた。機動隊導入を目の前にして立て籠もった廃寮反対派の学生が、説得に応じて退去したのは、彼らの聡明さと多くの関係者の汗と努力によるものと聞く。反対派リーダーが、修士課程を終えて証書を受け取ったときの清清しい笑顔は、あの判断の正しさを何より証しているだろう。

十年近く蝕んだコマバのしこりは、いまは跡形なく、そのうち忘却の彼方に消え去る。その間、定員削減は続き、国立大学法人化が実施されてコマバの教師たちはなすすべもなく、不毛な改革に追い込まれた。紛争には緊張感がつきまとったが、ずるずるとした後退戦は、日常の感覚を失わせる。老舗の旅館が経営に行き詰まって、本館を立て直す余裕なく、あちこち別館を建て増しして、その場凌ぎをする、仲居さんたちが、たくさんの料理を抱えて、ぐにゃぐにゃした廊下と階段を忙しそうに走り回っている。それが、わしに見えるコマバの現状じゃ。幸か不幸か、彼は大病をしたお陰で、独楽ねずみのように走り回る役目はご免になった。

でも希望がないでもない。彼がクラス担任であった学生が、事故で頭脳に障害を負ったことがある。事務の上部から、入院している東大病院に見舞いに行ってくれという要請があった。彼は何度かその学生を見舞った。要請した事務の熱意が強く伝わってきたからである。社会的責任もあろうが、ひとりの学生にこんなに心を砕く事務方がいるとは、コマバも捨てたものじゃない。

まもなく彼はコマバの教師を辞すそうだ。わしもずいぶん年輪を重ねたが、春にはまた新しい芽が育って、気力が湧いてくる。同様に若い学生と知性豊かな教師、職員が、コマバにいるし、やってくるだろう。彼ら彼女らが、難局にどう対処するか、わしはこれからも並木の端で見守り続けることにしよう。

(地域文化研究/中国語)

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