HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報590号(2017年2月 1日)

教養学部報

第590号 外部公開

<駒場をあとに> 東京大学と駒場での思い出

片岡清臣

東京大学理学部に助教授として赴任してから二十八年、また駒場に移ってからも約二十年になりました。この間、大学院大学化、国立大学法人化、四学期制導入の三つの大きな変化を経験しました。大学院大学化では理学部所属から飛び出して大学院数理科学研究科という独立部局になるということの大変さを経験し、例えば部局からの推薦ということで教授に成り立ての身で全学の国際交流関係の小委員会の委員長を任されました。学生が留学先で事故にあったり死亡したときどのように対処するか、というような緊急対処マニュアルを作るのですが諸般の事情で委員長候補が私だけになってしまった事によります。なんとか委員の方や事務長に助けられて作りましたが何年か後で国際交流関係の会議に出てこのマニュアルを見たときはちょっと感慨が深かったです。法人化では最初の中間評価のときたまたま専攻長だったことから評価書類の作成という慣れない事にも深く関わりました。また、四学期制のきっかけとなった濱田純一前総長の秋入学宣言の年にはたまたま総長補佐に指名され、なぜ秋入学に積極的でないのか、と理事の先生方に問い詰められる貴重な経験も持ちました。大学院教育では極めて優秀な学生を育てることができた一方で最近は引きこもりがちな学生を指導して修士論文や博士論文を書かせなければならないケースも増えました。そんな学生は放っておけ、という先生方も多いでしょうが、つい親の立場だったらと思い、引きこもり学生でも面倒をみたくなる性分です。しかし残念ながら私の指導力不足で学位授与まで至らなかったケースもあり申し訳なく思います。そういうわけで今後は宮仕えを離れて好きな研究や趣味に打ち込みたいところでしたが、あいにく二年前から日本数学会の仕事が加わりさらには理事として畑違いの慣れない財務・会計の仕事まで任されてしまいました。当分は会議や宮仕えに近い仕事から離れられそうにありません。

研究生活を振り返ると本郷での大学院生時代に恩師の故木村俊房先生や小松彦三郎先生に複素数変数の関数の面白さを学びました。特に二変数以上のいわゆる多変数関数論では解析接続やベキ級数展開というやや古い数学とヒルベルト空間・位相線形空間などのモダンな関数解析学が融合した議論の面白さが魅力でしたがさらにちょうどそのとき京都大学の佐藤幹夫先生と小松彦三郎先生が佐藤超関数の研究で朝日賞を共同受賞されたというニュースがありました。佐藤超関数はもっとも有名で線形偏微分方程式の一般化解に使われるシュバルツの超関数と違い、実数変数の関数を考えているにもかかわらず変数を一度複素数にまで拡張して考え、多変数解析関数と層係数相対コホモロジー理論を使って定義されます。丁度勉強してきた多変数関数論の知識が使えるし層の相対コホモロジー理論やさらにその抽象化である層の導来圏の理論という、聞いたことのない理論を使っているということでたちまち興味を持ちました。ちなみに層の導来圏の理論は現在物理の超弦理論やミラー対称性でも使われるようになり、数学以外でも有名になりました。また、プリズムを通して光を七色の光に分解するように佐藤超関数の特異性を余接球束上に分解して考えると線形偏微分方程式の解の構造がとても簡単になる、という佐藤・河合・柏原によるマイクロ関数と擬微分方程式の理論もほぼ同時に出来上がり、ますます謎に満ちた超関数とマイクロ関数の理論に取り憑かれました。学部時代から代数は苦手で解析が一番興味がありましたが普通の偏微分方程式論は実質は如何にして未知関数の微分を含む積分についてのうまい不等式を得るかという議論ばかりでトポロジーや多様体論のような華やかさがない感じがしました。その点佐藤超関数を用いる偏微分方程式論はその代数的表現の美しさもあって、ああ、こういう見方もあるのか、と興味をそそられるようになり結局定年に至るまでの研究課題になりました。もっとも実は私の研究のポリシーはそのような抽象的、代数的に表現された超関数の理論を如何に普通の解析学の言葉で易しく書き表せないか、という事にありました。さらには佐藤超関数では先程触れたような不等式を使う議論というのがなかったのですがこれに二次形式の正定値性で定義されるような不等号をうまく導入すると通常の積分不等式に基づく偏微分方程式の解析的理論と同様の議論が行えることを発見し、佐藤流の偏微分方程式論とは反対のことにも取り組みました。

最後に、駒場の好きな風景として残るのは朝早く数理棟から一号館などに向かうときに通る事務棟の前の板の間と総合文化研究科教授会室にある洋装店を見る女性の絵です。どちらも慌ただしい気持ちを落ち着かせてくれます。

(数理科学研究科)

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