HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報592号(2017年5月 2日)

教養学部報

第592号 外部公開

<時に沿って>パラレルワールド、ワンダーランド

橋本摂子

二〇一七年四月から総合文化研究科国際社会科学専攻に着任した橋本摂子と申します。高校卒業以来、東京工業大学に長く在籍し、その後震災直後の福島に赴任、六年ほど過ごした後、このたび駒場に着任いたしました。じつは長年目黒区界隈をうろうろしていたにもかかわらず、今まで駒場にはほとんどご縁がなく、学会や会合での短い訪問数回を除けば、足を踏み入れたのは今回がほぼ初めてです。

着任前は同じ目黒区内だからと高をくくっていたのですが、二十年近く東急沿線で暮らしてきた私には、京王沿線の風景は思いのほか目新しく、こちらに移ってからは京王線の各駅を東急線にあてはめて、下北沢は自由が丘、田園調布は永福町、吉祥寺は…武蔵小杉? 中目黒はどこだろう、起点は渋谷か新宿か、等々、微細で微妙な(おそらくほとんどの人にとってはどうでもいいような笑)文化的差異を発見しつつ楽しんでいます。

同じようなことがキャンパス内でも起きていて、古い国立大学特有の見慣れた外観(ハード)が並ぶなか、微妙に違う文化様式(ソフト)に遭遇するたび、見た目はそっくりなのにどこかが根本的に異質な並行世界(パラレルワールド)へと迷い込んだような、不思議な感覚にとらわれています。

こうした淡い違和感は、新参者にのみ許された一時的な特権で、じきに消えてしまうものかもしれません。しかし私の専攻する社会学では、このような直感的な皮膚感覚がとりわけ重視されます。社会学の入門書ではよく「当たり前を疑え」という少々安直なキャッチフレーズが使われますが、単に疑って終わりではなく、本当はその先にあるもの、つまりそれがただの「常識」だとして、ではその常識はなぜ常識たりえてきたのか、それを常識として支えるものは何なのかを、事象内部からの観察と分析によって描き出す学問です。体系的なセオリーはなく、知識量よりも、巻き込まれつつその自分からも距離を取るような、一拍置いて受け止める力量が重要だと個人的には感じています。

そうしてみると、今回の着任は、この地で研究教育に従事する恵まれた立場とともに、社会学者として駒場キャンパスを参与観察できる貴重な機会を与えていただいたとも思っています。もちろん自らも当事者ですので、のんきに感心していればよいというはずもなく、すでに自分の「常識」がくつがえるような(そして心臓が止まるような笑)洗礼を受けたりもしています。その一方で、四月からキャンパス内の保育所にお世話になる関係もあり、駒場で培われた伝統と文化の恩恵にもあずかっています。それらを部外者の無骨な手で傷つけぬよう、そして「当たり前のこと」として看過もせぬよう、大切に距離をはかっていきたいと思っています。

まだまだ勝手がわからず驚いたりとまどったりすることも多いかと思います。これからよろしくお願いいたします。

(国際社会科学/社会)

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